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”事件現場のその後” 『女子高生コンクリート詰め殺人事件』 冒頭陳述書を片手に見えたものとは ー前編ー

<※下記を読んで頂くにあたり、現場に赴いたのは一研究として行ったものであり、単なる怖いモノ見たさの野次馬的な動機ではないことを御了承下さい。> 


 私は、以前から国内で発生した重大事件を研究している。
 ひと際、人間の犯行とは到底考えられない”異常性”に満ちた、とある事件に関心を抱いた。
 その事件は、昭和が終わる寸前の1988年11月から1989年1月にかけて発生した『女子高生コンクリート詰め殺人事件』だ。

 事件の概要は次のとおりである。

 1988年11月25日午後8時30分頃、埼玉県三郷市内の路上で、少年A・Cは共謀して、自転車に乗って帰宅途中であった高校3年生の女子高生 E(当時17歳)をわいせつ目的で誘拐した。その後、東京都足立区内にあるCの自宅部屋にEを監禁し、A・B・C・D及びその他非行少年らが、Eに再三に渡ってシンナーを吸わせるなどし、さらにはEの太もも等にライターで火を付けるなどした。

 検察官の冒頭陳述書には、この状況を「被告人らは,Eを監禁中,昭和六三年一二月中旬ころから次第にEをなぶり行為の対象として扱い,更に一二月下旬に至ってはもはや人間ではなく醜い物体とみなし,Eに対して(略)凌辱・リンチ行為を加えた。」と表現している。

 これらの残虐なリンチにより、Eは1989年1月4日に外傷性ショックにより死亡した。
 その後、翌5日に、A・B・Cは遺体を処理しようと、ドラム缶に遺体を入れ、盗んできたブロック片等を流し込んで固定密閉し、午後8時頃に江東区若洲の東京湾埋立地に前記ドラム缶を遺棄した。

 Aや少年らの犯行態様は、わいせつ・暴行目的を超えた、不可解で猟奇的ともいえる筆舌し難い蹂躙の数々に、私は衝撃を受けた。


・「足を運ぶには訳がある。」

 私は、様々な事件現場に赴いている。
 これまで、精力的に研究している「オウム真理教」が起こした、「松本サリン事件」や「公証人役場事務長拉致事件」などの事件現場にも行った。

 事件現場に足を運ぶには訳がある。

 なぜならば、一程度は先入観も作用しているものの、どんなに時が経っても、区画などの目に見える点から、街の雰囲気などの精神的なところまで、現在でも感じ取れることは多数あるからだ。

 事件を研究する上で、現場に足を運ぶことの大切さが、そこにある。


・『若洲15号地』を探しに。

 若洲の現場に赴いたのは、今回で2回目である。前回は、去年の同時期に東京湾周辺を散歩している途中に事件を思い出し、現場に行った。その際に、「現場の静寂さ」、「工場街の異色さ」を感じ、本件を研究するようになった。

―――2月18日土曜日、私は本件に関心のある友人と二人で、江東区若洲に行った。

 埋立地のゆえに、東京湾からの潮風が吹き、春の乾ききった、肌寒い日だった。私達は、新木場駅から現場まで約3kmを、若洲に唯一通じる「東京港臨海道路」をひたすら南下した。
 
 冒頭陳述書には、遺体の入ったドラム缶の遺棄現場は、「A,B及びCの三名は,同日午後八時ころ,右ドラム缶を海に投棄すべく,右自動車にこれを積載して高速道路を利用して,東京都江東区若洲一五号地若洲海浜公園整備工事現場横空地に赴いたが,恐ろしくなり,同所で右空地にドラム缶を投棄し,もってEの死体を遺棄した。」と特定している。

―――『若洲15号地』とは。

 
若洲15号地」とは、若洲への玄関口である「若洲橋」から「東京ゲートブリッジ」に至る、埋立地全体を指していた。
 ただ、現在は住所としては存在しない。当時は、開発途上の空き地であったため、番地によって区割りをする必要はなかった。現在は、工場が立ち並んだことにより、2009年11月頃に「若洲」から「若洲1・2・3丁目」の住居表示が実施され、「若洲15号地」の名は消えた。

「若洲橋」から「若洲15号地」を望む。
「若洲橋」からお台場方向を望む。この水路は「砂町南運河」と呼ばれており、
ほのかに磯の香りがする。


――― まず私達は「若洲15号地」の痕跡を探した。

 新木場駅から20分程歩き続けたことで疲れてしまい、小休止をしようと「若洲橋」から運河沿いを下りた。
 偶然にも腰をかけた防波堤に、「15号地北側第1次護岸建設工事」と書かれたプレートを発見した。プレートに表記されていた”1988年12月”は、まさしく本件の犯行に及んでいた時期と一致する。

 これも事件現場を物語る、今に残されたものの一つだ。


――― 余談だが、約3kmを歩いた私達は歩き疲れ、近くにあった『ポートストア若洲店』で糖分・水分の補給をすべく入店した。

 東京湾岸付近に訪れたことのある方は知っているかもしれないが、港湾地域のコンビニエンスストアは、『ローソン』も『ファミリーマート』も全ての店名が『ポートストア』に統一されている。
 港湾地域の売店は、都から許可を受けた上で「一般財団法人東京港湾福利厚生協会」の管理運営の下、営業をしている。協会は”非営利”の法人である故に、特定の民間店舗の看板を付けないようにしてるようである。

 そんな普通の街との違いを感じつつ、休憩の後、私達は現場へ向かった。

<後編へ続く>


一部参照)『月刊ゼンボウ 平成元年11月号(全貌社)』

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