教育現場の体罰指導に関して

私は、体罰指導は積極的にやるべきだと思ってます。

世の中には暗黙の掟やルールは厳然として存在するのであり、それを破れば子供といえどもそれ相応の制裁を科せられる可能性はあるんだ、お前ら、世の中を社会を舐めるなよ!という脅しの効果が『悪い事をした子供がいて、言葉による教育では中々理解してもらえない』状況下においては体罰の教育的懲戒効果は間違いなくあるとおもうからです。

ただし、体罰指導する以上は、やる側の親とか教師にもそれなりの覚悟と信念と一貫性を要求したいと思ってますけどね。

たとえば桜宮高校のバスケ部顧問だった小村基みたいに体罰指導で生徒を自殺に追いやっておいて、事件が発覚して世間から批判されたら慌てて『いやいや、そのときにはそれが体罰指導だとは認識しておりませんでした』などと一貫性の欠如したナサケナイ弁解する馬鹿や、

或いは反抗反撃してくる可能性が無いこっちのアタマは遠慮無くぶん殴るけど、あっちの本気で反抗反撃してくる可能性がある凶暴な不良児童のアタマは殴れない・手は出せない、みたいな一貫性の無い教師の体罰指導に教育的な懲戒の効果があると思いますか?そんなセンセー、尊敬できますかね(笑)?

例を挙げると、自分の小学校時代に、脇坂隆夫先生という体罰指導教師がいました。

ただこの先生は殴る、蹴りを入れる、髪の毛を摑んで引きずり回すなどしましたけど、相手が男子生徒だろうが女子児童だろうが、ヤクザの子どもだろうが授業中に騒いで授業妨害するなど悪いことをしたときは平等にヤクザの子ども相手でも躊躇せずに殴る、蹴る、髪の毛を摑んで引きずり回すなどしておられたので、私は今現在にいたるまで特に不満も感じていませんし、この先生は、もう退職なさったと思いますが生徒からも尊敬されていたと思います。

一度か二度、ヤクザの子どもの親の本物の暴力団構成員が学校に乗り込んですごんで来た事件もあったのですが、脇坂隆夫先生は毅然と対応して追い返していました。

反対に、自分が中学生のときは、私の頭は殴るけど、本気で反抗反撃してきそうな強そうな不良集団には全然手を出さない体罰指導教師がいたりして、それは、今現在にいたるまで納得できません。

詳細を書くと、私の通っていた長野県岡谷東部中学校の学生時代、

東中連合という不良集団が職員図書室を占拠して暴れており、授業妨害もしょっちゅうで、

卒業式には私服警官に保護者席に入ってもらわなければならないくらい学校が荒れて いました。

この当時、体罰指導が無かったか?といえばもちろんありました。

生徒のアタマをメガホンでぶったたく体罰教師もいました。私も二回くらいメガホンでぶんなぐられましたが。

時効に近いくらい昔の話だから実名出しても問題ないと思うので実名で書きますけど、私が名取秀樹先生というメガホン教師に頭をぶったたかれた二回とも、生徒集会中だったのですが東中連合の使いっパシリ三下みたいな奴に絡まれて頭を叩かれたり小突かれたりしたので、手でそれを払いのけていた。それが、二人して生徒集会中に騒いでいると認識されたらしく、メガホンでぶったたかれました。

真ん中に写っているのが名取秀樹先生(長野県須坂市高甫小学校時代)

私は、頭をぶったたかれた二回ともに非常に不本意な気持ちでその体罰を受け入れましたけど、「昔から連帯責任というか、喧嘩両成敗という言葉もあるし、これはこれで仕方ない」と自分で自分を納得させていました。

自分にも言い分はあるにせよ、頭を小突かれたり叩かれたのを振り払って、結果的に生徒集会の進行を妨害していたのは事実でしたから。

ところがその後あるとき、全校集会で東中連合の不良グループが椅子を投げつけるなどして大暴れして、体育館内がめちゃくちゃな騒ぎになった

事件があったのですが、周りの教師達はびびってしまって止めに入りませんでした。

件のメガホン教師も傍観していました(笑)

ただ一人だけ不良達を止めようとしたのは、国語の女性教師の笠井みゆき先生でした。

体罰指導なんかとは特に縁も無いような体の細い、気の弱そうな先生で私は直接教わったことはありませんでしたが、本当に偉い先生だったと今でも尊敬しています。


もっとも、多勢に無勢で不良達には歯が立たず、ボコボコにされていましたが(笑)。

薄情なようで申し訳ないんですけど、私は笠井みゆき先生が不良集団にボコボコにされていたとき、ゲラゲラ笑ってましたね。あまりにもブザマで滑稽で。

もちろん、半分くらいは多勢に無勢で勝てる見込みもないのに不良集団を止めようとひとりだけ立ち向かっていた笠井みゆき先生のブザマな姿が滑稽だったから笑ったんですけど、半分はメガホン持ったまま傍観していた名取秀樹先生の姿が滑稽だったから、というのもあります。

あんたのメガホンは、俺のアタマをぶったたくのは役に立ってるみたいだけど、不良集団を止めるのには全然役に立ってねえな、と。

テメぇラ体育会系教師どもの体罰指導やら体育会系のリクツは、俺を殴るのには役に立ってるみてぇだけど、東中連合の不良どもを止めるのにはクソの役にも立ってねぇじゃねーか、と。

もちろんこれは極端に酷い教師の事例であって、そうじゃない体罰指導教師もたくさんいるとは思います。

繰り返しますが生徒集会中に体罰教師からメガホンで頭をぶったたかれたこと自体は納得しています。故意にやったことではないにせよ生徒集会の進行を妨げていたのは間違いなかったし、誤解を招くような行動をとったワタシの当時の判断も不適切だったとおもうから。

ただその後、不良集団が大暴れしたときは、これは私のケースとは根本的に違って、明らかに悪意をもって意図的に生徒集会を妨害していたのは誰がみても分かることで誤解のしようもないのに、なんでそれは止めなかったのか?しかも女性の教師がただ一人だけ止めに入ってボコボコにされていたのに…。

ということです。

あんたの持っているメガホンは、飾りか?と。

おそらくメガホンでぶったたくのは大きい音がするだけで特に痛くはないし、体罰の範疇には入らないだろうし、頭をぶったたく大きな音が体育館内に響けば生徒の耳目を集められる。

「お前ら、騒げばこういう目に遭うぞ!」というミセシメと脅しの意図がメガホン教師にはあったんだろうと思いますが。

誤解の無いように補足しておきますが、最初に書いたように私は教育的な懲戒効果が見込める体罰指導は必要だと思うし、原則肯定しています。

また、教育の現場における体罰指導や暴力指導が連帯責任を伴うものである以上、ときに受けた生徒が理不尽に感じるケースがあるであろうことも理解はしているつもりです、一応。

今回名取秀樹先生の実名を出して批判したのは、この教師の暴力指導に覚悟も信念も一貫性も無かったからです。

写真左側が長野県須坂市高甫小学校時代。右側が長野県茅野市長峰中学校時代

ちなみにその時に傍観していたメガホン教師の名取秀樹先生は順調に出世して、現在は長野県茅野市長峰中学校の校長をやってます。

(先年退職して、今は 長野県茅野市にある茅野東部中学校で初任者指導員をやっているようですが)

もっとも、普段生徒をメガホンで叩いたりしていて、本当に凶暴な不良集団が暴れたときはビビって止められない。女性の教師がただ一人だけ飛び出して止めようとしてボコボコにされていても傍観しているようなタイプの人間に、果たして本当に初任者指導のリーダーシップがあるのか?初任者に生徒指導を語れるのか?私は甚だ疑問がありますがwwww

力の弱い女子供には容赦なくDVするけど、力の強い女子供には手が出せません、みたいなナサケナイ暴力旦那と、何が違うの?と思ってしまいます。


一方で、周りの教師がビビっていた中、ただ一人だけ飛び出して不良を止めようとしてボコボコにされていた笠井みゆき先生は何をなさっているのか音信がつかめなかった。


だから私は、あんな酷い目に遭ったから、教師の仕事に幻滅して辞めてしまったのだろう。

ま、世の中なんて所詮そんなもんだw

と世の中をナナメに見ながら生きていたのですが、先日偶然、本当に偶然ですけど、笠井みゆき先生が、私の住んでいる街のとなりの隣町の小学校で校長として頑張っておられることを知りました。

社会なんざ、世間なんか、そして人生なんて所詮そんなもんだwwwwと世の中をナナメに見る自分の考え方や生き方が変わったわけではありません。

でも、確かに社会なんか世の中なんか、そして人生なんて所詮そんなもんなんだけど、でも、それでも捨てたもんでもないな、とは思えるようになりました。

それで先日、そこの小学校に行く用事があったので、先生に会って話してきました。

『あのときは必死だったので周りの先生が、誰も止めなかったなんて知らなかった、今日教えてもらって初めて知った。私は亥年なので後先考えないで行動しちゃうから。一つだけ覚えているのは不良グループのボス格のB君にボコボコにされたんだけど、何とか止めなきゃ、と思ってつかんでいたズボンを絶対に離さないと思って握りしめていたら、はずみで脱げちゃって、B君のパンツが見えちゃったことくらいかな。これは、今でも覚えている』と話してくださいました。

『そのパンツB君はいま、結婚して、先生が校長先生をしているこの街に家を建てて住んでいます。パンツB君の子供も、いずれ先生のお世話に、間接的にせよ、なるかもしれません。先生は、二人の人間を救ってくださいました。パンツB君と、僕です。』と話してきました。


『今日はそんなに良い話をしてくれて嬉しかった。ただ、今でも思っているけど、あなたの中学校に当時いた生徒は、私からみて、みんな良い生徒だったよ。心底腐りきったような悪い生徒は、いなかった』と、最後に言われました。


…最後の言葉はいまでも納得できませんけど、2つ、実感したことがあります。ひとつは、自分があとどれくらい生きられるか分からんけど、残りの人生すべてかけて努力したとしても、絶対にこの先生をこえることは、出来ないだろうということ。あともう一つは、あのとき、不良グループが暴れた時に、一番ブザマで滑稽だったのは、暴れた不良グループでもなく、ただ一人だけ止めに入ってボコボコにされていた笠井みゆき先生でもなく、ビビって見て見ぬふりして傍観していた他の教師たちでもなく、それを見て幻滅して、すべてを馬鹿にしてゲラゲラ笑っていたワタシ自身だったということです。

普段から安易に体罰指導に頼っていたわけではない。だけど、狂暴凶悪な不良集団が暴れたときは、率先して飛び出して止めに入ってくれた。

多勢に無勢で歯が立たずボコボコにされたけど、

「あなたの中学校に当時いた生徒は、私からみて、みんな良い生徒だったよ。心底腐りきったような悪い生徒は、いなかった」と言える。


こんな偉い先生、なかなかいないと思います。


話が横道に逸れてしまいましたが、教育現場で体罰指導することじたいは否定しませんが、やるなら一貫性もってやってくれと思いました。

体罰はたしかに上で例に挙げた脇坂隆夫先生みたいな「資質のある指導者」が行えば教育的効果があります。
しかし小村基とか名取秀樹みたいな「資質がない教師が行う」とマイナスの影響がものすごく大きく、場合によっては生徒の死など取り返しがつかないマイナス影響が生じることになります。


また「資質ある指導者」をどのように見つけるのか?
誰が資質ある指導者だと評価するのか?など基準自体が曖昧で体罰の中身と教育的効果の相関関係も不明瞭です。


ということは体罰の教育的効果があるにしても、マイナス効果を減じるようにコントロールすることが難しい、ということで、それなら「一律禁止」のほうがよい、という考えも成立しますよね。


もし「体罰を行える資質」を明確に評価し、学校運営責任者がその人物や行われる体罰をコントールできるなら体罰があってもいいと思いますが、まず無理でしょうね。

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