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82年生まれ、明石ガクト

ひっそりと38歳になりました。

去年の誕生日は六本木のバーを貸し切ってスシ詰め状態になりながら、朝まで誕生日イベントをやっていた。今では考えられないくらい密である。三密の極み。もはや時代劇を見ているような気持ちだ。あえて画像は白黒にしてみた。

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さて、次にこれらの画像を見てほしい。僕のフェイスラインがかなりスッキリしていることにお気づきだろうか。
実は昨年8月頭に扁桃腺摘出の手術した僕は、ひと夏まるまる虎ノ門病院で入院生活を送っていた。重湯(米が溶けたもったりした湯)や五分粥といった人生で初めて口にする、ステーキや焼き肉の対極にある食事だけで生活すること二週間。88kgのワガママボディもあっという間に10kg痩せた。

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肌ツヤがイイ感じに見えるのは、断酒していたことと、通常のお粥に飽きて病室にバターやゴマ油を持ち込んで、勝手に「バター醤油粥」「中華風粥」を錬成していたからだ。いつだって良質なアブラは僕たちを裏切らない。
まだ声も前のように出てなかったし、酒も全然飲めなかったけど、この日は本当に楽しかった。友人たちと集まって、とにかく騒ぐのは楽しい。パリピと謗られても構わない。ともかく、去年の僕は最高にハッピーに誕生日を迎えていた。

Make you happy?

誰もが、幸せの拠り所を持っていると思う。
それは、映画や音楽だったり、美味しい食事だったり、家族との時間だったり、あるいは酒やタバコ、スポーツ観戦やアウトドアなどなど。

でも、そもそも幸せって何だろうか?
僕はそれを、自分が自分らしくいられて喜びを感じることだと定義していた。前述の幸せの拠り所として列挙した多くは「趣味」や「好きなこと」として言い換えられる。
僕は自分のそれがずっと「ファッション」「グルメ」だと思っていた。

15歳で「beauty:beast」や「20471120」にハマり、17歳で「GOODENOUGH」や「w)taps」に夢中になり、ファミリーマート(当時は緑色のエプロンが制服代わりで色んなバッジでカスタマイズしてた)でバイトしてお金を貯めては青春18きっぷで裏原宿に行って洋服を買っていた。

大学進学と共に上京して、最初のバイト先の偉い人に目黒のイタリアンに連れて行ってもらい「渡り蟹のトマトクリームパスタ」を食べさせてもらった時、東京にはこんなにもウマいものがあるのかと驚いた。
それから普段の食事を具のないペペロンチーノだけで乗り切って、おいしいランチを探して食べることが趣味になった。東京は世界で一番、1,000円でも美味しいものが食べられる街だった。

お気に入りの洋服と安くてウマい飯。
2006年の東京は、僕にとってそこにいるだけで幸せな場所だった。

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20歳当時の写真。完全に若手芸人の身体の薄さである。最近思うのだが、歳を重ねるごとに身体は3D化していく。今や完全な円柱になりつつあるので、このまま順当に行くと数年後にはもはや球体そのものになってしまうのではないだろうか。友人を見る度にそう思う。

人生の絶頂、あるいは分水嶺

あれから時は経ち、昔は手に入れることなんて到底無理だったロレックスやクロムハーツをやたら高いパーカーとコーディネートして、国民的アイドルとテレビで共演する……自分でも笑っちゃうくらいな、高校生が想像するようなコテコテの業界人になりつつあった。

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2020年3月。
映像業界の大先輩である某社の社長から「鮨さいとう」をご馳走になりながら、これまた僕は自分の幸せの拠り所たる「ファッション」と「グルメ」を極めたような気分になりながら、能天気にこんな質問をした。

「コロナどんくらいヤバくなりますかね?」

社長は少し真剣な顔をしながら「俺もこの業界、新卒から入って長いけどバブル崩壊くらいヤバいかな」と斜め上な回答。
一瞬、スシの味がしなくなるくらいゾッとしたけど、それでも鮨さいとうは美味い。すごいな、鮨さいとう。

下旬に差し掛かる頃「都から外出自粛要請が出そうだ」という噂が起業家や投資家の間でもささやかれるようになってきた。いち早くリモートワークを準備しておくことを社員に指示しながら「年末にオフィス移転したばっかりなのになぁ」なんて愚痴をこぼしていた。
3月26日、テレビで小池都知事が「感染爆発」「重大局面」というフリップを持ちながら週末の外出自粛を呼びかけるのを見ながら、それでも僕はどこか遠い場所の出来事のように感じていた。
まるで、海の向こうで戦争が始まるような。

緊急事態宣言で奥歯にヒビ入る

4月に入り、ついに緊急事態宣言が出た。会食でお世話になっていた星付きレストランが、テイクアウトのランチを始めた。あれだけ捕まらなかったタクシーが、客待ちの長い行列をつくっている。

街の様子が少しづつ変わり始めた。
リモートワークも2週目に入り、お祭りのような状況が日常に置き換わっていく中で、僕は経験したことの無い歯の痛みに襲われた。
2日経っても治らないので、ちょっとビビりながらも歯医者に行くと先生は「あー、これはとても珍しいケースですね」と言いながらレントゲン写真で説明してくれる。僕の奥歯は、亀裂が入っていた。
「なにか固いものでも食べましたか?」
いや、固いものなんて食べてない。僕には答えがわかっていた。
僕が歯が割れるくらい噛み締めていたのはストレスだ。

中目黒につくった最高にカッコいいスタジオ付きのオフィスという戦場に、これまた自分のお気に入りの洋服をBDU(バトル・ドレス・ユニフォーム)さながらに着こなして、プレゼンで案件を勝ち取り、会食で美味い飯と良い酒を飲む。これが僕のハードコアCEOライフ。コロナショック以前のウィークデイはずっと毎日こんな感じで、そこには間違いなく幸せがあった。

家の中で快適なルームウェアを着ていても「ファッション」の快楽は満たせなかった。僕にとってのファッションは、東京という街とつながるためのインターフェースだったから。

高いステーキ肉を取り寄せて、鉄のフライパンで焼きあげても「グルメ」の快楽は満たせなかった。僕にとってのグルメは、東京という街を味わう為のメディアだったから。

こうして辿り着いた、一つの真実。僕にとっての幸せの拠り所は東京という街、そのものだったんだ。

ジュリアナ東京に憧れたあの頃

小学校3年生の頃、夕方6時のニュースを見ていたら扇子を持って踊り狂うセクシーなお姉さん達が映っている。
母親に「これは何?」と聞くと「それは東京だよ」とシンプルな答えが返ってきた。

「東京って一体何なんだ?」

僕が東京というもの、あるいは東京的な何かを人生で初めて認識した瞬間だった。今思えば、母親は夕飯づくりか何かが忙しくて、適当に返事をしただけなんだろう。でもその哲学的な答えのせいで、僕の中で東京という言葉とジュリアナ東京がクロスオーバーしてインストールされてしまった。
バブル崩壊の真っ只中で、ボディコン姿でジュリ扇を持ち踊る女性たちのヴィジュアルはまるで、東京という神に祈りを捧げて踊る巫女のようだ。

ジュリアナ東京は、僕が12歳の頃クローズした。
もちろん、一度も実物を見れたことはなかった。

さて、時計の針を現代に戻そう。バブル崩壊から30年、コロナショック真っ只中の東京に。スマートフォンの中ではNewsPicksでは、ビジネス芸人とは一線を画したホンモノの文化人・知識人達が舌戦を交わしている。

「我々が2000年かけて発明したものをもっかい作り直す、という衝撃的な事態」
「でもデジタルやネットワークテクノロジーで『開疎化』しても生産性は下がらないでしょ」

その通り、生産性は下がらない。リモートワークにすることによって、仕事のプロセスや成果は文字通り目に見えて可視化された。
ポジティブに言えば、これから新しい仕事や産業が生まれていく背中を押したといってもいいだろう。

でも、そこに東京はいない。
僕が生涯で最も愛した存在は、いないんだ。

正直、僕はもうダメかもしれない

僕が9歳の頃から追いかけてきた東京は今、悲しいくらい静かに無くなりつつある。これだけ強烈の変化が、音を立てることもなく進んでいく。

さよなら、創作のインスピレーションをくれた街の雑踏よ。
さよなら、人生に甘さと苦味をくれた幾つもの夜よ。
さよなら、港区的な全てのものよ。

「ジュリアナ東京」が無くなっても「東京カレンダー」が生まれたように。
今の若者たちはきっとまた何か新しい東京を見つけ出すのかもしれない。
でもきっと、それは都市としての東京ではない38歳には想像もできない何かなんだろう。でもそうやって、東京っていう街は更新され続けてきたのかもしれないね。

僕の心の中にポッカリと空いた穴に、すごい勢いで納まったのがK-POPだった。唐突な展開だけど人生ってのは大体そういうもんで、人は何かを失った時に新しい何かを得るものなのだ。
さて話を戻すと日本でもNizi Projectが大変注目を集め、NIZIUブームが巻き起こっている今、めっちゃ遅咲きの狂い咲きでK-POP(というかJYP)にハマりまくっているのである。東京に代わって僕の心を撃ち抜いてきたJYP所属のアーティスト達。特にTWICEとITZYは、毎日絶対聴いている。プレゼン前とかテンション上げるためにわざわざ時間確保して聴いてるレベル。

特にITZYの "WANNABE" という曲のサビ、このフレーズが大好きだ。

I wanna be me, me, me (私は私になりたい)

東京という幸せの拠り所を失った僕にとって、僕が僕であることって何だろうか?何を着てるかとか、どんなメシ食ってるかじゃなくて、自分の中にある自分らしさに向き合って、それを見つけていくしかない。
そんなことをITZYに教えてもらった気分だった。余談だが、ITZYの平均年齢は執筆時点で19歳。38歳のオッサンからするとダブルスコアで年下な彼女たちから僕は今、現在進行系でめっちゃ学んでいるというわけだ。

生まれ持った才能や凄い有利なスタートを切れれば必ず勝てるほど、人生や仕事ってのは甘くない。JYPの言葉を引用させてもらうが、過程が結果を作って、態度が成果を生むから。結局、本気でやりたいこと、好きなことをやり続けてるヤツがいつかは勝つ。だからこそ、僕は僕であり続けないといけない。

「正直、僕はもうダメかもしれない」

そんな風に思って、枕を濡らした夜が多い2020年だった。最近でも、気分が落ち込むことが多くてその度に友人たちには心配をかけさせてしまった。
だけど、僕はもう大丈夫。世界の流れはいつだって非可逆で、流れに逆らっているときは辛くてしょうがない。だけど、その流れを見極めて自分が行きたいルートを発見できれば、世界は急に僕の味方になる。大丈夫、僕はまだやれる。

ここまで読んでくれた方へ

さては相当に僕のことが好きですね?こちらに誕生日に欲しいなと思っているブツを揃えたAmazonのウィッシュリストを用意しました。もしもいただけたらこんな顔して喜ぶので、プレゼントお待ちしてます。

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さて、38歳。永遠に来ないと思っていた40代まで残された時間は少ない。
30代最後にふさわしい大勝負を仕込んでいます。
え?なんなのか知りたい?なんか買ってくれたら、こっそり教えるからよろしくお願いします!え?くどい?だって欲しいんだよ!正直に生きるぜ!

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