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囲碁の信条

人間よりもAIの方が強いことが常識となった囲碁の世界で、いつかAIに「ぎゃふん!」と言わせたいと思い、ふと気づくとiPhoneに「ぎゃふんと言って!」とお願いしていたkoma2です。
#Hey Siri
#どの言語にしますか?と素晴らしい返しがきました
#Siriの「ギャフン」がまたカッコイイ
#ギャフンと言うのもわるくない

さて
今日は「囲碁の信条」についてお話したいと思います。

小さい頃の思い出

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私は小さいころ父親に連れられて、とある子供囲碁教室へ通っていました。教室では信条というものをかかげていました。教室のはじめに必ず子供たちが信条を一斉に唱えてはじまります。今思うと、この教室では囲碁が教育の延長線上にあったのかもしれません。

信条

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信條
碁の道を学ぶものは
姿勢正しく 礼儀を弁え(わきまえ)
心静かに 納得するまで考え
碁の心を 日頃の生活に生かしていきます

信条が囲碁とは何かを教えてくれた

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この信条に対する感想や意見・感じ方は人さまざまだと思います。
私の場合は、子供ながらに「まさにその通り!」だと思い「腑に落ちる」というか「納得した」ような感覚で自分の中に入ってきました。

「囲碁とは何か」この問いに対して、ルールや勝つためのコツ・テクニックなどはいくつか紹介することはできる。しかし囲碁の根底にあるものを伝えるには、なかなか難しいものがある。それについて上手く補ってくれているのがこの信条だったと思う。

自分の解釈を改めて考えてみた

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碁の道を学ぶものは
 碁は道。確かに囲碁のことを棋道と書くことも。
 剣道や華道、茶道、書道、武士道と同じですね。
姿勢正しく
 昔は正座で対局していましたが、そういう姿勢ではないと思う。
 気持ちというか、メンタルというか、碁に向かうときに真摯であるか。
礼儀を弁え
 礼に始まって、礼に終わるとよく言われます。
 これは他の「道」とつくものと共通する部分ではないでしょうか。
心静かに
 子供の頃、囲碁大会当日に心が浮ついてはしゃいでしまい
 父親からこっぴどく怒られたことがあります。
 落ち着いた気持ちで臨む方が、囲碁を打つのには適しているでしょう。
納得するまで考え
 自分が納得した上で次の一手を決める。とても大切なことだと思います。
 昨今の正解が無い時代に、自分の中の納得解を導き出すことの大切さ。
碁の心を日頃の生活に生かしていきます
 「碁の心」とは何だろう?
 「姿勢正しく礼儀を弁え心静かに納得するまで考える」ことだと思う。
 もしくはそれによって対局して自分が感じたことも含まれるかもしれない。
 そういった囲碁の経験は、普段の生活の中で生かせるということ。

碁の心を日頃の生活にどのように生かしていくか

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日頃の生活にどのように生かされているか。
何となく生きているとは思うが・・・
具体的にと言われるとすぐには出てこない・・・


という場面に出くわし、「これではせっかく囲碁をしていたのに勿体無い!」というわけで、これから考えをまとめて整理していこうと思います。


今回はここまで
ありがとうございました。

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