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#8 写真は曖昧だからこそ、エモくもなる

こんばんは、yuki です。
桜の季節。
新しい環境になる季節ですね。
どうぞ、あんまり気張りすぎずね。

さて、今回は
写真って実に曖昧であるからこそ、
エモい写真の表現ができる。
そもそも、エモいって何??
エモいを突き詰めてみた。
おハナシ。
最後は、あの名作映画からのヒントで、
エモいプリセットでおちつきます。

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曖昧な事実とは


現実はあなたの主観次第。(#7前話もミテネ)

主観のままに、感じた色を特に主張したり、
ブラしたり、ボカしたりということは、

誰がみてもそう見える"客観的な現実"を、
いいか悪いかというのは別として、
『主観的な事実』に捻じ曲げ、
その現実は曖昧になる。

その一瞬が正しいか正しくないか、
なんて観る側は知る由もないし、
さほど重要じゃない。

観る側の私たちには経験や想像力があって、
こういうものだったんだろうな、と
その曖昧な事実と折り合いがつけられる。

モノクロ写真なのに、
その色が脳裏に浮かぶように。
ボケているのに、
その輪郭が分かるように。

何色を思い浮かべていますか。


ねじ曲げられた撮り手の主観的な事実に、
みる側は経験や価値観と照合し折り合いをつけ、
情景を想像し、再構築している。

みる人にバトンタッチされて、
その人がいかようにでも解釈する。
その人の物語になるわけだ。
それこそが、みてくれるから作品になる。
ということじゃないかと思う。

エモい


漂ってくるメッセージ性を嗅いで、
じんっときたりしたことありますよね。
それ、エモいからです。

曖昧だからこそ、みるヒトが物語をつくりやすい。
光や色味などのテクニックは一翼を担う。

逆に、カタログみたいな客観的現実の写真や、
現実からかけ離れすぎた表現は
美しいとか、かっこいいと驚嘆することはあれど、
そのヒトにとっての物語は生まれにくい。

現実と非現実とのはざまで、
記憶を辿って感じとる感情には

エモい、とかしみじみ、とか
胸が熱く高鳴ったり、とか胸キュン、とか
切ない、とかおセンチとか(死語?)
もろもろある。

こんな感情はどこからくるのか。

その写真に自分を重ねて、想いを馳せるから。

あの頃のおぼつかない青春。
これから訪れるだろう黄昏。
無我夢中でがむしゃらに向き合ったコト。
やってみたかったコト。
今までに見たことがあるような懐かしい風景。
行ってみたい絶景。

少し前に自分が辿ってきたようなストーリーや、
そこに願っていたシーンが画面に宿っているから、
エモを感じるんだと思う。

画角の時間軸の勝手なイメージ

過去過ぎても未来すぎても非現実的。
現在が現実的とするなら、
過去もしくは未来の合間が、エモい。

ちょっと前の中望遠、
たった今(ほんの少し前)の標準や、
現在進行形からのちょっと先の準広角は
エモいを演出できそうに思う。

fujinon XF56㎜F1.2RWR/85㎜(35㎜換算)
入道雲がエモいのは、夏休みを連想するから?

#4話の画角のキーワードもミテネ↓


私のエモいのイメージは、
あの頃の青春のような「スタンド・バイ・ミー」のおぼつかない透明感や、
「ALWAYS 三丁目の夕日」のノスタルジー感。
色が持つイメージって大事なんだな。

あ、エモいはひとつのジャンルであって、
この画角はこうだ!って断言しているつもりは
毛頭ございませんことよ。

美しいものを美しいままに。
かっこいいをよりスタイリッシュに切り取ったり。
エモい写真だったり。
写真はいろいろだと思うのです。

うん、私はどうやら。
エモいを撮りたいみたいです。

エモプリセット作ってみた。
作り始めたら止まらなくなっている。
エモい勉強中なものでお目汚し失礼します。
その一部

Natural
Daylight(Y)
RedSunset
Ennui

次回は、再来週 2024/4/19 (金)公開、
そのレンズ(画角)で撮ることが、
その写真のテーマになるんじゃない?
ってお話しです。
ではまた、午後9時に(-′д`-)ゝ

※共感できたところあったらぜひ教えてください。
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© 2024 yuki

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