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学生から社会人になった君へ

Twitterを見ていると、「卒業しました!」というツイートを見かけます。
世間はもう卒業の季節で、そういえば俺って学生だったんだっけ?と自分が学生であった事も忘れかけていました。

今回は「卒業」をテーマに、言い換えれば、学生から社会人になった時の心情とか、社会人になってから、どんな事を経て今に至ったのかを書いていきます。ずっとこのまんまなのかなと不安になっている人もいるんじゃないかなぁと思って、ちょっとでも参考になれば幸いです。

軽く自己紹介をすると、今自分はゲーム業界でサウンドデザイナーとして働いていて、プライベートではインディーゲームの制作もやっています。
小学生の頃からゲームクリエイターに憧れていた自分が、どうやって今に至ったのか、ここに書いていきます。


社会人 1年目

この頃は本当に停滞していました。やりたいと思っていた仕事(ゲーム会社)に就けず、何とか音の仕事(ポスプロのMA)に就いた時は、自分が想像していたものが何も現実になっていない事と、学生から社会人という今までの人生では経験しなかった環境の変化に対する疲労が混じっていて毎日すごくキツかったです。とにかく現実を受け止めて毎日仕事をするという事に慣れるのに精いっぱいで、将来に自分がやりたい事の為に何かをしようという気力も皆無でした。

「おいおい、社会人っていうのはそんなお先真っ暗なのかよ」と思った人もいるでしょう。まぁ実際僕の社会人1年目はこんな感じでした。人によっては、1年目からやる気満々で邁進していこうと思えているのはそれはそれで素晴らしい事です。ただ自分の場合は、やる気も何もあったもんじゃなかった。とにかく毎日会社に行って働くという事に慣れる為の1年でした。それぐらい学生から社会人になった時の生活の変化というものは凄まじかったです。

そんな状態が社会人1年目の3月辺りで、スッと気が楽になった感覚がありました。何か大きなきっかけがあったわけではないけれど、目の前の仕事に対して「まぁ頑張るか」と少しだけ前向きになっていきました。社会人にようやく慣れてき始めたのかもしれません。

社会人 2年目

2年目になるとある程度仕事に慣れてきた部分もありましたが、同時に音の仕事はもう辞めようかなと思っていました。世の中には音の仕事以外にも仕事はたくさんあるし、音の仕事に固執する事もないんじゃないかなと。
ポスプロは他の仕事よりも時間が不規則になりがちなので、その大変さをわざわざ感じてまでやる必要があるのか?疑問に感じてたのかもしれません。

Blenderを触ってみたりデッサン教室に通ったりとかして、音以外の自分を見出そうとしていました。でもそこまでのめり込めず、数カ月でグラフィック系の事はやらなくなりました。

社会人3年目

実はこの頃に一度転職活動をしています。中途ではなく第二新卒としてです。あるゲーム会社の求人を見ていると、サウンドデザイナーを第二新卒でも応募可で募集をしていて、ダメ元で応募してみたら、作品が通って、面接をする事になりました。

これにはめちゃくちゃ驚いたし、何よりそのゲーム会社は学生の頃に自分が憧れていたゲーム会社の1つでした。企業研究や面接対策もやったし、その会社のゲームも可能な限りたくさんプレイしました。ここで人生が変わるかもしれないという期待と不安が混じりながら、面接に挑んだ事を覚えています。

で結果というと不合格でした。今思えば相手の反応もちょっと懐疑的だったし、面接対策も1人でやっていたので、色々と無理があったのでしょう。落ちたと知ったのは電車の中だったのですが、人目をはばからず、めっちゃ泣いていました。(あの頃の自分に数年後にはゲーム業界に入れてるからそんなに落ち込まなくてもいいよと言ってあげたいですw)
お祈りメールをいただいた次の日とかは1日中寝込んでいました。数日後に自分の好きなバンドがライブをする予定だったので、気晴らしにそのライブに行って大分マシにはなりました。

仕事でも外部ミキサーのアシとかもさせていただけるようになって、徐々に仕事もしっかりこなせて来ていた頃でした。でも新卒の時だけでなく社会人になってからも失敗してしまったとなると、やっぱり本当になれないのかなと諦めようとしてたと思います。

社会人4年目

コロナ禍が始まった年です。この頃にUnrealEngine4(以下UE4)を触り始めました。コロナ禍になり自分の時間が増えて、改めて自分に「本当にゲームを作りたいのか?」と自問自答の意味も込めて、ゲームエンジンを直接触って、これで面白いと思えなかったら諦めもつくだろうと思って触り始めました。
で、これが面白かったわけです。UE4はノードベースのスクリプトでプログラミング初心者の自分でもすぐに慣れました。TwitterでUE4に関するツイートをしたら、同じくUE4を触っている人と交流する事が出来たし、ゲームに対する考え方がいっきに広がりました。
インディーゲーム制作チームに入る事になったのもこの頃からです。

4年目の終わりの頃に、大先輩のサウンドデザイナーの方とお話をする機会がありました。その時に「もしサウンドデザイナーになりたいのであれば1日でも早く考え方を切り替えてゲーム業界を目指す事です。」と言われ、「あ、もうちんたらしてられないかもしれない」と自分の中で決意が固まりました。もう一度目指そう。と。

社会人5年目

2月から作成徐々に作品を作り始め、周りのゲーム業界の先輩方に相談してポートフォリオをブラッシュアップしていきました。そして6月に各企業に応募しました。面接対策もTwitterで知り合ったゲーム業界の先輩や、インディーゲーム制作のメンバーに相談してもらいながら、面接対策をしていきました。自分ひとりでやっていた時とは違い、様々な悩みを周りの意見も取り入れながら進めていきました。3年目の時とは取り組み方やその質が明確に違いました。


そして数社に応募し、その中から1社内定を頂きました。


夢が叶いました。



今はサウンドデザイナーとして働きつつ、プライベートではインディーゲームを制作しています。
夢が叶ったとはいえ大変な事や、出来ない事の連続ではなりますが、とても充実していると思います。


あとがき

さて、ここまで読んでくださってありがとうございます。
学生から社会人になった時は、こんな未来なんて1ミリも想像出来ませんでした。我ながら書いていて、ここにくるまでに色んな事があったなぁ。。。と思いました。ていうかよくここまでこれたなという感じです。正直。
いつ諦めてもおかしくなかったですし、実際諦めようとしてました。
でも周りとの繋がりや、時代の流れ、自分のスキル、コントロールできる領域とコントロール出来ない領域の物事が複雑に絡み合って、今に至るんだと思うと、恐縮ですが、我ながら本当にすごいと思ってしまいます。

これは1人の人間の社会人生活のダイジェストに過ぎません。
自分はラッキーな部類の人間です。他の人に自分のようにやれば上手くいくよ!とはっきりとは言えないです。

でもこれだけは、はっきり言っても良いんじゃないかなと思うものはあります。
それは人との繋がりと日々の小さな積み重ねが大事。という事です。

今はSNSでたくさんの人と繋がれます。SNSでなくとも自分が日々やっている事を周りに知ってもらう事で、ある日思いもよらない出来事が起こる可能性が生まれると思います。3年目の失敗した転職活動だって、あれがあったからこそ、5年目の転職活動が上手くいきました。当時はそんな風に活きてくるとは思いもしませんでしたが、失敗した経験が活かされるタイミングは遅かれ早かれ来ると思っています。

僕がここまでこれたのも、ぐちぐち言いながらも、途中で投げ出さなかったからだと思います。どんなにうんざりしても、自分の知らない根本的なところで、自分に出来るのはこれしかないと思っていたんだと思いますし、ゲームやサウンドという何があっても手放せないものに出会えたのは本当に偶然の出来事です。

これから社会人になる人達は、期待に満ちあふれている人、これから続く日常にうんざりしている人、色んな人がいるでしょう。

色んな境遇や価値観があるし、答えは人の数だけあるから、はっきりと断言する事は出来ないですが、本当に全てを捨ててしまったらそこで終わってしまいます。だからどんなに小さな事でも良いから、積み重ねていってください。そして辛い時に周りに弱音を吐いたり共感してくれる人を見つけてください。愚痴ばかりでは前に進めないですが、そういう弱い部分を伝えられる人がいないと、いつ投げ出してもおかしくありませんし、精神が保てないですから。

僕から言えるのはこれぐらいです。その人の苦労はその人にしか分からないですが、こんな風に新卒で失望していても、しっかり前を向いて歩けるスタート地点に再び立てるんだと感じてくださると幸いです。

ありがとうございました。



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