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ここらへんの史跡をゆく⑬~関ケ原

先週の「ブラタモリ」は "関ケ原" を取り上げていた。
我が note「ここらへんの史跡をゆく」シリーズは2022年2月に "①桶狭間" からスタート。以来基本方針は「行き当たりばったり」なのだが、愛知に住む私の「ここらへん」は意図せずとも徳川家康の足跡を辿ることになってしまう。「そろそろ関ケ原にも行かなきゃなぁ」と漠然と思っていたところヘの「ブラタモリ」だった。

私がタモリさんと張り合っても仕方ない。でも私はせかされるように先週の休みの日、朝方の土砂降りが収まるのを待って関ケ原に向かった。気乗りしない細君を助手席に乗せた。関ケ原へは高速を乗り継いで約70km。これまで新幹線や名神高速で何百回も通過しているのに、一度も訪れることがなかった場所。
※このシリーズを書き始めるまで、我が家から5km以内にある桶狭間古戦場跡や大高城址にも行ったことがなかった私なのだから、今回の「初関ケ原」は当然と言えば当然。

「ブラタモリ」を観て、浅学の私が「ほっほー!」と呟いたこと諸々‥
・関ケ原は、中山道、北陸街道、伊勢街道が交わる物流、軍略の要衝。
・四方に山が迫っていてこの周辺だけが平坦なために街道が集まった。
・誰もが避けては通れぬ場所なのでこの地に関所(不破の関)が置かれた。
・「関東/関西」の「関」は「関ケ原」を意味する。従ってここが日本を東西に分ける境界点(異説有り)。

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「関ケ原の戦い」を簡単に説明する。これをお読みのほとんどの方は私より詳しいと思うのでごく簡単に。布陣図は以下のとおり… 「小早川が裏切り毛利や吉川は動かなかったので東軍が勝ち西軍が負けた」が戦いのあらまし。「島津の退き口」って何? どうして称えられたんだろう。


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今回私たちが訪れたのは「岐阜関ケ原古戦場記念館」。ここはコロナ発生間もない2020年10月21日(=旧暦9月15日)の開館。「ブラタモリ」にも登場しYouTube チャンネルでもお馴染みの小和田哲男氏が館長を務める。徳川家康最後の陣跡に位置し、最上階の展望台からは諸侯の陣跡が四方に見渡せる。
入場料は500円。

1階の「グラウンドビジョン」と「シアター」はとても面白かった。
まず「グラウンドビジョン」では、大きな床面スクリーンに映し出される戦いの推移を俯瞰できる。小早川軍の寝返りで後退し、一気に壊滅に向かう大谷吉継軍が悲しい。私は大谷軍に属する足軽の人生に思いを馳せる。
続く「シアター」には目線レベルの戦場が展開される。場内には風が流れ、火器や馬の蹄の音が振動する。私は脆弱な武具を纏(まと)い、槍一本だけ持って走り回る足軽の恐怖を想像してしまう。

私がついつい感情移入するのは軍を率いる武将ではなく、一兵卒である足軽のようだ。彼らが命を掛けて戦う目的と大義は何だったんだろう。戦いの後の「明るい未来」は描けていたのだろうか。そんなことを考える。

2階には武具(鎧  兜  刀)、書簡、美術品や工芸品が多数展示されている。

そして5階の展望室は360度のガラス張り。諸侯の陣跡をグルリと見渡すことができる。ここには昨年から自律走行甲冑ロボ「ミツナリ君」が投入されている。彼は我々観光客に陣跡の案内と説明をしてくれる。寡黙で確実な仕事ぶりに好感が持てる。細君はすっかり気に入っていた。

ミツナリくんに案内され説明を聞く この日は独占状態

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予備知識も無く訪れた「岐阜関ケ原古戦場記念館」だったが、とても楽しむことができた。皆さんにもお勧めします。館の公式 YouTube は2年でたったの1.7万回視聴。あまり知られていないような気もする。

今回の関ケ原は古戦場記念館だけだったが、次は季節の良い時に来て陣跡を巡りたいと思う。小早川秀秋が陣を張った松尾山からの風景は是非見てみたい。レンタサイクルが活用できそうだ。

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家康の戦(いくさ)歴は、デビュー戦が桶狭間で、関ケ原は引退試合と言えるだろう。桶狭間から始まった私の「ここらへんの史跡をゆく」シリーズ。これまで長篠、小牧(記事は無い)、長久手といった戦の跡や、岡崎城、犬山城、江戸城などのお城を訪れた。こんな「知らないを知る」活動から、私は "私の家康像" を形成した。それは "松潤の家康" とは大きく異なっている。

そして今私は織田信長をより深く知りたいと思う。今の大河ドラマに描かれる粗野な信長とは全然違う "私の信長像" が見えてくる気がするのだが‥
どうしようかまだ決めかねている。

< 了 >


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