見出し画像

大阪は美味いもんだらけやで ‥ 知らんけど

前回の投稿に「大阪単身赴任の時は毎日外で飲んでいた。」と書いて、あの頃のことを思い出しました。今日は "私の大阪" がテーマです。

******    

私が大阪に転勤となったのは1995年の4月だった。同じ年の1月17日に阪神淡路大震災が発生し、特に兵庫県が大きな被害を受けた。その影響で当時の大阪は賃貸住宅が枯渇状態で、私の住まい探しは難航した。豊中辺りから探し始め、物件を求めてどんどん南に向かった。

ようやく探し当てたのは、かなり南に下った弁天町のワンルームマンションだった。私自身は大阪に不案内だったのだが、大阪の同僚からは「だいじょうぶ?」と心配された。大阪港に近く町工場が多い地域で、単身赴任者が住むイメージではなかったようだ。機械油の香りが漂う生活感溢れるその街に、私は4年間住むことになった。

当時の私は、月曜日の早朝名古屋の自宅を出て大阪に行き、金曜日の仕事が終わると名古屋に帰るという行動パターンだった。平日は飲んで帰って寝るだけだったので、めったに部屋のカーテンを開けなかった。ある日久しぶりに開けてみると、完成したばかりの大阪ドームが目の前にあって仰天した。最後の最後に屋根を吊り上げる工法だったらしく全く気付かなかった。すぐに販促ツールとして翌年のシーズンチケットを買い求めた。

職場の最寄り駅は、環状線の福島だった。大阪を離れた後に気付いたこと。「そう言えば福島駅界隈って美味しい店ばっかりだったなあ。不味いものを食べた記憶が無いぞ!」美味しかった店を思い出してみよう。

まず駅近くの将棋会館一階にある洋食の "イレブン"。本稿の冒頭画像は、この店の名物、豚のから揚げ "珍豚美人"(ちんとんしゃん)。藤井聡太君が、対局中の昼ご飯に食べたと話題になった。私が通っていた頃は、ご夫婦でお店をされていて、一人で食べる私の話相手になってくれた。バターライスを作る時の、ご主人の前後左右のフライパンの返しは見事だった。ネット記事によると、バターライスは聡太君の好物だそう (マッシュルーム抜き)。

画像2

なにわ筋を東に入ったおでんの店 "花くじら" はいつも行列ができていた。寒い冬に日本酒と食すのはもちろん、一年中いつ食べても美味かった。

名前を忘れてしまったお店がいくつもある。聖天通り商店街には美味しい居酒屋が何軒もあったし、あみだ池筋沿いには、私が初めてハモの湯引きを食べたお値打ちな日本料理の店があった。雀荘から取る出前のうどんや丼物は一度もハズレたことは無く、ABC(朝日放送)の近くにあったお好み焼屋の牛筋入りネギ焼は美味しかったなぁ。

ABCと言えば、隣に "つるや食堂"というご飯と味噌汁が美味しい、いわゆる「めし屋」があり、私は "日本の朝ご飯" が食べたい時はそこに寄った。8時を過ぎて私が食べ終わる頃、"おはよう朝日です" の放送を終えた宮根誠司御一行様がすれ違いに入って来たものだ。今回 Google Map のストリートビューで探してみたが見つからなかった。もう閉店してしまったのだろうか。

福島駅から北に行ったABC(朝日放送)があった辺りは、今すっかり風景が変わっている。ABCは2008年に堂島川の畔へ移転した。158mの高さを誇った大阪タワーは、電波塔の役目を終え2010年に解体された。

ホテルプラザは大阪万博の前年1969年に開業した。「味のプラザ」として高度成長期の日本のホテル業界を牽引してきたが、時代の波に飲み込まれるかのように経営不振に至り1999年閉鎖となった。私はホテルの晩年に何度か一階の "プラザパンテリー" でピラフやカレーライスを食べた。
※"新婚さんいらっしゃい" の「ディナー付き宿泊券」はこのホテルです。
しばらくショールームとして使用されたが、2011年に解体となっている。

私が大阪を離れて22年が経過した。今こうして振り返ると、「街も生きているんだなあ。」と思う。

話を "味" に戻す。誤解を恐れず私の偏見に満ちた考えを述べる。「大阪中心部の庶民向け飲食店の美味しさレベルは格段に高い!」以上です!  詳しく書くと、何かとの比較、何処かとの比較になってしまう。誰も敵に回したくないのでこれ以上は書かない。4年間住んだ私の実感です。

最後に、福島周辺以外で私が好きだったお店のことを書いて終わりにする。残念ながら、どのお店も今は営業していない。

淀屋橋のオフィス街、御堂筋を一本東に入った中央区道修町の鰻の "現長" (げんちょう)。大阪では珍しい蒸してから焼く江戸焼。実に美味しく値段はお手頃だった。2008年9月をもって百年以上の歴史に幕を閉じた。

西区立売堀(いたちぼり)に現長の姉妹店 "現長西店" があり、ここは絶品カツ丼で知られる洋食屋さんだった。美味しい豚カツに絶妙な甘辛さの卵とじ。ご飯にらせん状に染み込む出し汁は、奇跡のバランスだった。ネットで調べても何故か痕跡が見つからない。でも私は確かに食べた。

心斎橋にあった中華料理 "ハマムラ" を覚えている方は多いだろう。メニューは一般的なものだが、街の中華とは一線を画すちょっと上品な中華レストランだった。人気店だったのに何故無くなってしまったのか。

他にも大阪の文化とも言える串カツ、絶品の焼肉、コスパ最強の寿司屋などがあったが、店名や場所など記憶が曖昧になってしまった。まあとにかく毎日美味しいものを食べていた。

寂しい単身暮らしで仕事もキツかったが、"美味しい大阪"が、いつも私を励ましてくれた。 ありがとう (拝)、そして ごちそう様でした (合掌)。

< 了 >



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?