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私たちの望むものは

なかなか note に近付けないこの頃の私。
4月からバイトを始めて、生活のパターンが変わったことが一因なのは間違いない。ネタはかろうじてまだ在る。だがそのネタを突き詰めたくない気持ちが芽生え、困惑しているのが今の私だ。

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最近掲載した記事で、ある前期高齢者(私のこと)の「物欲」「旅行欲」(ここではない何処かに行きたいという欲求) について書いた。

様々な「〇〇欲」があるが、加齢とともにそのカタチは大きく変化する。
そんな中、私には若い時から変わらない「〇〇欲」がある。

それは「褒められたい欲」だ。私は褒められることが好きだ。だが、めったに褒められることはない。冷静に我が身を振り返ると、私には他人から褒められるような特技や実績が無い。最近それに気付いてしまった。

ゴルフは大好きだが下手くそ。ギターも同じ。誰かの役に立つ特別な知識は持ち合わせていない。甲子園やその他何かの全国大会に出場した過去はないし、心躍るような冒険をしたり挑戦をしたことも無い。

私は「凡庸な来し方を懐かしみ凡庸に今を生きる」前期高齢者だった。

「note よく続いていますね」「この前の note 面白かった」とか言われることがあるが、大したものではないことを自分で分かっているので、素直に喜べない。ゴルフの時に同伴者からたまに言われる「よく飛ぶねー」「いい球打つねー」が今私が一番嬉しいワードかもしれない。

「お孫さん可愛いですね」「お孫さんもう字が読めるんだ」「奥さまおキレイですね」「ご家族仲良しでお幸せですね」などの褒め言葉は確かに嬉しい。だがどれも私個人が褒められている訳ではない。

もう分かった。私が褒められることはほぼ無いのだ。

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働き始めた職場で掛けられる嬉しい言葉がある。
それは‥「有難うございました」。そう、ごく普通の感謝の言葉だ。
例えば‥

  <朝>   私「先に準備してますね」
     スタッフ「有難うございます
  <夕>   私「お先に失礼します」
     スタッフ「お疲れ様です。有難うございました

こんな会話が交わされる。私には「有難うございました」がとても沁みる。三年以上働いていなかった私。その間の社会貢献はゼロだった。

そんな私への「有難うございました」。私は僅かながらも何らかの貢献と、存在理由を感じることができてじんわり嬉しくなる。

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「褒められたい」はもう諦めた。これからは「感謝されたい欲」を秘めつつ慎ましく生きていこう。そして他人への感謝の気持ちを決して忘れない。

サウイフモノニワタシハナリタイ

< 了 >


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