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ボクらの時代 ~ 最強!! 属人的営業

最近の noteで会社時代のことに少し触れた。全身全霊を傾けて業務報告書を書いていたことだったり、"至極真っ当な要求をするお客様" と "それに応えられない我が社" の狭間でもがく暗黒の日々のこと。note の本題をしたためる道すがら、少し脇道に入ってそんなことを書いた。

これまで私は note で会社時代のことはほとんど書いていない。前に勧められて書いてみた時は、細君の検閲で「投稿不可!」と判断が下された。ボツ原稿のタイトルは「やられたら少しだけやり返す」。私が経験した "社内のドロ沼" を振り返っての悔恨と、現役世代に向けての戒めを説いたものだった。細君が申すに「恨みが透け透け!」がボツの理由だった。

「少しだけやり返す ?! 」

読み返してみると、暗い淵からほじくり出した "無念" を改めて醸成しようとしている、とても気持ちの悪い記事だった。執筆モットーである "諧謔のスパイス" は全く抜け落ちていた。「ボツ宣(むべ)なるかな‥」納得した。

ボツにはなったが、書いたことで気持ちの整理はついた。今の私は決して不幸じゃない。まあまあ幸せに暮らしている。この世には悪い人はいるし、時に嫌な出来事に遭遇するもの。過去の "無念" を蘇らせて、心を乱すのは時間の無駄で体にも悪い。そう思うに至り "それ" は封印することにした。

かくの如く心身ともにすっきりした私が、人生で一番忙しかった頃を振り返る。すっかり "大いなる過去" となった「ボクらの時代」を書いてみる。

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かれこれ35年程前、私はそれまでの管理部門から、B to B の営業最前線に配属された。お客様は大手メーカーで、我々は当時需要が高まっていた化学製品を販売して、毎年売上とシェアを伸ばしていた。

その分野での "先駆け" という要素はあったものの、シェア拡大の一番の要因は、営業力だったと思う。全国の営業所には優秀な営業マンがいて、競合の追随を抑えていた。

営業の仕事の概要は‥   お客様の購買決定プロセスを理解する~ターゲット案件を抽出する~キーパーソン(決定権者)を特定する~その人の信頼を獲得して受注に繋げる。では信頼はどうやって獲得するのか‥  そこからは、マニュアルもセオリーも無い "超"属人的な活動となる。

私の会社には様々な芸風の営業マンがいた。彼らを一言で表現すると‥ 
 "強運の人" "鉄人" "礼節の人" "澄んだ人" "優しい人" "常識の人" "品の良い人" "天才的発想の人" "偉大な人" "根性の人" などが揃っていた。

押し並(な)べると皆、立ち居振る舞いに絶妙な "おかしみ" があり、会話にはユーモアがあった。そんな多士済々が 、"超"属人的営業手法で得たお客様の信頼を背景に実績を上げ続けた。交際費は潤沢だった。

「ボクらの時代」は、現在盛んに言われる "環境経営" や "SDG’s" とか "コンプライアンス" の精神などの欠片も見えず、"働き方改革" のような考えは露ほども無かった。ただただ前のみを見て必死に働いた。隔世の感を禁じ得ない。(21世紀に入ると環境マネジメントシステムの導入が始まった。)

SDG's 17の目標
コンプライアンスの概念

昔の上司を現代に連れてきたら言いそうなことを想像してニヤニヤする。
「ホンマのこと言(ゆ)うだけやったら営業なんて要らんがな。」
「エスデージーズでっか。そんなんしてたら会社つぶれまっせ。」
※私の想像。誰もこんなことは言っていません。※本社大阪です。

20世紀は地面や海底を掘りまくり、天然資源を燃やしまくり、要らなくなったものは捨てまくった。その結果、気候変動やオゾン層の破壊、生態系の乱れや環境汚染が深刻化してしまった。このところ、持続可能な社会を目指す環境経営に取り組む企業が増えている。是非とも良い方向に向かって欲しい。微力ではあるが私も協力を惜しまない。

「ボクらの時代」は何の制約も無く、野放図に活動する最後の時代だった。我々の昔話など、もはや何の役にも立たないし誰に響くこともないだろう。
でもいつの時代も "おかしみ" や "ユーモア" は営業マンとして武器になる。
それが滲み出るような "豊かな人" を目指して欲しい。
そんなことを遠くで想う退役営業マンです。

< 了 >


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