見出し画像

指導者、松波正信【ガンバ長谷川の141文字以上の呟き(ボヤキ)】

※youtubeの「勝手にガンバ会議(ボイスバージョン)」から一部編集したものです。


継続が決まった松波正信監督の特集です。

1974年11月21日 、岐阜県岐阜市出身。帝京高校サッカー部を経て93年のJリーグ開幕と同時にガンバ大阪に入団。
その後引退するまでの12年間をガンバ大阪で過ごし、最後の年にはガンバ初のタイトルをもたらしてくれました。


選手時代を入れると長くなるので、今回は指導者になってからのみにしておきます。

引退後の翌年から指導者生活をスタート、まずはガンバ大阪ユースチームのコーチに就任。
2008年にはユースチーム監督に昇格しJユースカップで6年ぶりの優勝に導く。
その年のチームには宇佐美・菅沼・内田・岡崎・大森選手など、今でもプロで活躍する選手が多数在籍していた。

そしてトップチームの監督ができるS級ライセンスを2009年に取得。

2010/11年と西野監督のもとでトップチームのコーチとして活動。
2012年、セホロペ体制崩壊と共に、クラブOB初・クラブ最年少でトップチームの監督に就任。
仕事中に知った私は凄く胸が高鳴ったのを覚えています。

どん底から何とか残留しようと、たまには大勝したり善戦をし最終節まで望みを繋いだが、現ユース監督の森下仁之監督率いるジュビロ磐田と対戦。
敗戦し、リーグNo1得点数、得失点差プラスという珍記録を持って降格。
菅沼選手が磐田側でフル出場していました。

その日の私は倉田選手のゴールで同点に追いつき歓喜に湧いたゴール裏で、誰かの手が口に当たり軽く流血しました。

その後、謎のガンバサダーを1年務めた後、J3に降格したガイナーレ鳥取の監督を2014/15年と務めた。
順位は4/6位とチームをJ2に昇格させることはできなかった。

古いファンにとって、この時の結果が松波監督に難色を示している原因だと思う。
私もそのうちの1人です。
その後、まさかのセレッソ大阪U-18のコーチに就任。
私の彼へのリスペクトは一気に崩れました。

後日、某OBに聞いた話だと、どこかの大学の監督がほぼ決まっていたらしい。
彼なりの考えがあってピンクを選んだとのことでした。

そこからガンバのOB回帰路線がはじまり、2018年アカデミーダイレクターに就任し現在にいたる。

ざっと指導者になってからの経歴です。
チームが松波監督でいくときめたからには何とか残留して、来期は新しい監督に引き継いでいただきたいです。

※youtubeではガンバのネタをほぼ毎日更新しています。
良かったら見てください!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?