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自分が予測し得る未来に価値はあるか

 結論:無い。

シンギュラリティ以後の世界観を、10年くらい先のイメージをしながらラボの仲間や友人と話す事がよくあったが、それがこの2か月で5年くらい近付いてきた。
 オンライン美術館は立ち上がったし、それよりも早く世界各地の美術館がオンライン展示を始めたり、ストリートビューまで始めて、今月の頭は実にわくわくしていた。リモートワークの是非は言うまでもなく、自動運転が指し示す未来も言うまでもない。

 こうしている今も、現場に従事している医療関係者の皆さんや、ウイルスと闘っている感染者の皆様に感謝と心からのエールを送りつつ、アフターコロナの中での生活をリアルに考えていきたい。あくまで備忘録。

 大前提として、予測される未来など無い、というのは今回の事で皆が身に沁み始めていると思う。予測することに時間をかけるくらいなら、楽しそうな方に身を動かした方が良いし、100年も生きるなら何千回と失敗しておかないと随分骨と皮だけの人間になってしまう気がする。今を生きている100歳の方々は、戦時中を経験してるので言葉が重い。

 同時に、予測する事を考える習慣はやめてはならないとも思う。こういうと矛盾してるように感じるが、予測と行動のバランスが大事だ。何も考えずに動ける程勇気がある人もいないから、あれこれ予測すると思うのだけれど、考えすぎると途端に悲観的になる。この悲観的になる一歩前まで考えて動くくらいのバランスが必要だと考えている。科学的な知見を持つ事と、健康&メンタルケアだけは怠らず(これ本当に大事!)に、アフターコロナの世界観を捉えたい。

 誰もが2020年はオリンピックがあって、それでリモートが促進して、日本経済が少し回復して、その後に万博があって、IR事業が進んで、GDP3位をキープできる機会が増えるなんて思っていた。
 そんな当たり前の誰もが考える未来に価値はあるのだろうか?誰でも考えられる事に、今の環境問題や、貧困や、SDGsで語られるような課題を解決していくアイデアもパワーもエンゲージメントもないのではないだろうか。

 ビフォアコロナ、ウィズコロナ、アフターコロナ。
それぞれで有用な行動形式は大きく変わっていくが、それでも人類が果たすべき事は何も変わっていない。隣人と助け合い、家族を幸せにし、困っている人に手を差し伸べる。今までは見えなかった困っている人の表情も、声も、見ようと思えば見れる世界だ。そしてそれが急速に進んでいる。

 奥さん一人幸せに出来ない経営者が、声高らかに企業理念を語る姿は些か滑稽だなと思いつつ、それが一番難しいのかなぁとぼんやり考える。AIが最高のマッチングアプリを作ったところで、一緒にいる努力を怠った時には破局するのかな、環境問題より複雑な気がしている。


 コロナ離婚というパワーワードやオンライン恋愛の是非は色んな人と対話してみたい最近の関心ごと。

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