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綺麗事を形にする為に資本主義の枠の中で闘う選択肢と、資本主義の枠の外だけで夢を叶えるという選択肢

 社会人としてのキャリアを少し振り返ると、自分が形にしたい綺麗事(夢、というより現実的な課題感)を目指しながらもお金の勝負とは少し距離を置いて、のらりくらりと努力をしてきてしまったかなという実感があります。そして、そんなぬるさでは何も変わらないと気付くのに少し時間がかかりました。日々考えながら新しい選択肢を取る事にしたので、自分だけが分かるエクリチュールでその記録を。

 マクロな視点で最近考えているのは、お金がお金を生む資本主義が存在する限り、綺麗事もお金を生む対象としてしか見られないという事です。例えばSDGsは綺麗事の一つですが、数年前(MDGsの頃)からESG投資が盛んになってきているのでSDGsを推進するような企業の時価総額が高く、投資家が儲ける対象となっているようです。

 これは投資家がSDGsのゴールを目指しているわけではなく、投資(投機)対象として偶々ご時世にあった企業が選ばれているといっても過言ではありません。同時にSDGsを掲げる企業側にも矛盾が多くあります。例えばわかりやすいのは電気自動車ですが、果たして電気自動車は本当に環境に良いのかというと、結論、電気自動車もガソリン自動車とはまた別の形で環境を破壊している側面もあります。こうした事例は多々あり、情報弱者からすると綺麗に見える持続可能な活動も、違う側面から見れば全く別の表情が見える事も珍しくありません。寧ろ綺麗事をしなければいけないという昨今の空気感が、本質的な問題の解決を遠ざけてしまう事にすらなっていると思います。

 社会の話はさておき、当事者になると自分自身もこうした側面に気付けていない事が多かったので反省しています。そんな中で、私が形にしていきたい綺麗事(投資家の投機先になればいいなと思う事)はざっくり言うと以下のような事です。

「社会から障害をなくす」
「生まれた環境による機会損失をなくす」
「他人をどうでも良いと思える距離感で多様性を尊重する」


 これらをボランティア的なビジネスではなく弱肉強食なビジネスの中で、つまり資本主義の枠の中で形にしていきたいと思い働いていたのですが、ざっくり言うと莫大な資本と圧倒的なテクノロジーがないと難しいなと感じる事がめちゃくちゃ増えました。


「社会から障害をなくす」には、テクノロジーによるアプローチ(人間の身体より優れた機能性の義手とか義足とかバリアフリー)は勿論、身近な場所で障害を感じない環境づくりをする事も一つのアプローチだと考えています。例えば、「よく行くカフェで障害のある方が楽しそうに働いている」という環境は日本には殆どありませんし、そもそも障害のある方と話をした事も関わった事もないという人が沢山います。そうした中で、「障害のある方が楽しく働ける」環境のn値を増やしていく事で、それ以外のマジョリティの価値観を変えていく事、障害のある方が働く(もしくは働かない)選択肢を当たり前に持てる事、を真剣に考えています。

 もっと具体的な話をすると、新卒で入社させていただいたスターバックスの全店舗(1600店舗)で1人以上、障害者雇用をする事がやりたいアプローチの一つでした。世界一の規模を誇るカフェで、障害のある方と健常者といった壁を感じさせない環境と価値観を日常に発信する事に意義があると思っていたからです。しかしそこには大きな壁が幾つもあり、新卒が生え抜きで変えていくには私の寿命が足りなくなりそうだったので、一度外に出てからまたいずれアプローチしようと、今は一旦置いておくことにしました。

「生まれた環境による機会損失をなくす」事は、一言で言うと「貧困をなくす」事です。これまたありふれた綺麗事ですが、自分自身の原体験も紐づいて、小さい頃から世界でも日本でも形にしたいなと考えていました。この解決策は沢山あると思いますが、冒頭で述べた「お金がお金を生む資本主義」と最近の時代背景で、より格差と分断が進んでいるようです。
 スターバックスでは「2500万人以上のコーヒー生産者(貧困層が多い)」にフェアトレードを超えたアプローチが取れるので、これまた良いかなと思っていましたが、本質的な解決に繋げるには100年以上かかりそうなスピード感(その間にコーヒー栽培もできない程環境が壊れていそう)だったので、また違うアプローチを取る事にしました。


「他人をどうでも良いと思える距離感で多様性を尊重する」のは、誹謗中傷や揚げ足取りの無い世界線をイメージしています。世間的なマイノリティを大事にするような空気感とは多分違うイメージで、適度な距離感を持って適度にどうでもいいと思う事が、所謂「多様性の尊重」に繋がるのかなとぼんやり考えています。これには特別アプローチを考えた訳ではありませんが、自分自身はそのように振る舞っていると思います。
 極端な話、犯罪を犯した人間でも当事者以外がわざわざ非難するような事でもないかなというスタンスです。許容できる範囲は人によると思います。

 これらの事に自分の時間を使いたいという思いは変わっていないのですが、最近はこうした綺麗事を形にしていく為に冒頭で述べたように「資本主義の枠の中で(圧倒的に)勝つ」必要を強く感じています。

 ということで、一旦スターバックスでの仕事を辞めて、(株)リクルートに転職しました。その他細かい理由は省きますが、評論家にならず資本主義の枠の中で勝つ事、新規事業の立ち上げや起業をする事(自分が見える世界しか変えられないような内容ではない事業)、強い渇望感のある人間と働きたいと思う事、なんかが決め手でした。そして夢へのステップの1つとして、先ずはこの環境で修行させていただくお気持ちです。

 アプローチは変わりますが、基本的に自分が形にしたい綺麗事は変わっていないので、これが遠回りになるのか近道になるかは自分次第だと思ってあくせく手を動かしてお金を稼ごう(=価値を生み出そう)と思います。資本主義の枠の中で圧倒的に勝てない人間が何かを成し遂げようと言うのが今までの自分の甘い考えでした。自分が共感しきれない環境(分断を推し進める資本主義構造)でも圧倒的に勝ってから、資本主義の外でも形に出来る可能性を手にできるように思います。


 大学時代から社会人数年目までは、寧ろ資本主義の枠の外で綺麗事を形にしたいと思っていたり、福祉や介護といった分野はそもそも資本主義の枠の中にない事が多いのでそれが当たり前と思っていましたが、最近はそうでもないんじゃないかという実感が募っています。投資家の投機先になるような綺麗事事業を形にしつつ、資本主義が推し進めてしまう分断の先を考えながら、考えることで手を止めないように、改めて頑張ります。

 同時に、経済的理由から諦めざるを得なかった修士、そして博士の夢はまだまだ諦めきれないので、自分自身にも資本を投下できるようにしていきたい。

 今回の選択は自分の中で考えに考え抜いて決めた事で、環境に過度な期待はせずとも未来に少しドキドキしているところですが、リクルート嫌いな人も結構いるみたいで風当たりが前より強そう。笑

 スターバックスは素晴らしい会社だと思いますし、リクルートもきっとそうだと良いなと思います。



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