見出し画像

政治を話題にするタブーへの疑問。あなたと私の違いを楽しもう。

 政治を他所で話す事がタブーとされる雰囲気がまだまだ否めない。このタイトルと導入にも拒否反応を示す人は多いかもしれない。政治に関心を持ち、考えている人であればあるほど、そう感じる。

 ナウでヤングなマジにアゲアゲの若者が、マイナンバーやばくね?とかベーシックなんとか凄くね?みたいな話はカウントしていない。

 政治的な話は宗教と同様に、学校や会社、友人同士でもどこか話しにくい雰囲気があるし、私が幼い頃は他所で政治宗教の話はタブーと教えられてきた。

 しかしそれは、勧善懲悪のような白黒の、オセロみたいな社会ならまだしも、漸く多様性の受容が叫ばれ始めた今の日本には不必要な雰囲気と教えである。

この宗教が良い、悪い、ではない。

 元々八百万の神を信仰していた事など日本人はもう忘れているだろうが、シンプルに人と違う考えで、好きなものも違えば、信じるものが違っても良くないだろうか。どの神様も有難いし、どの哲学もケースバイケースだ。
他の宗教を異とするような雰囲気が、飛躍するとテロや内戦に繋がってしまう。

 政治も同様で、右側の人達が高田馬場で怖高く演説したり(あれは怖い声だ)、左側の人達が狭いサークルのような集まりでピーチクパーチクするのも、閉鎖的で若者が入りにくい。ともすると拒否反応を示してもおかしくない。

 政治の話は家庭だけ、狭い身内で留めておきながら、公平な投票など出来ない。政治を知り深く考える国民が投票する政界は、もう少しオープンなものになると思う。

政治は、良いか悪いかではない。

 山のようにある選択肢の中から取捨選択して、全体最適な選択をするのが国政だ。議論無くして成り立つものではないし、与党を野党が一概に批判するのにも違和感を感じる。国会討論を見ても、批判しようという雰囲気に満ちている。一旦相手の意見も聞こうという態度は珍しい、あれは議論になっていないと感じる。そもそも、何か一つの選択をすれば捨てなければいけないものが出てくるのが国政だと思う。

 私が義務教育を受けてきた10年程前には、ディベートの習慣は限りなくゼロに近く、ディベートのように見えた討論大会も、結局は正しい答えを言わなければいけない雰囲気に満ち満ちていた。同調圧力が満ち満ちた文字通りミチミチしているなんだか嫌な集団では、良い取捨選択は出来ない。

 これから教育法が改正され、2020を皮切りに多国籍な交流が増え、嫌でも他人と自分は違う事を感じる機会が増えるだろう。
 今の政治は、手段と目的をごちゃ混ぜにしている感が否めないし、そこに対する反応も違和感を覚える。税率の改善や教育法改正に際しての国民の意見も、本質を議論しない。

税率が上がって受ける恩恵は何か?毎年新しい言語が普及するプログラミング教育を、社会人になる何年も前から義務化する理由はどこにあるのか?

国政を批判する前に、まずは家庭で子供や友人と一緒に政治を考え、隣の人との違いを楽しみ、日本の未来を見据え、世界の将来に期待するような国民でありたい。

 その為には、友人同士で気軽に政治や宗教を語り合い、違いを知り、違いを良しとする事が何より必要だ。子供に自分の考えを押し付ける親であってもいけない。親も子も、上司も部下も、皆んな違うのだ。だから良いのだ。それで良いのだ。

 ダイバーシティ&インクルージョンをうたう会社が増えてきたが、本質はそこにあって欲しい。

まずは隣の人との違いを楽しもう。
政治の話はそこからだ。

#コラム #日記 #政治

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?