見出し画像

「時間が解決する」という考え方と言葉の所為であらゆるものが遅くなっていく

 「時間が解決する」って、どこの故事から生まれた言葉だろうと思って調べてみると、カーネギーの言葉やシェイクスピアの言葉が出てきたけれど、そんな偉人に頼らずともお節介な友人が慰めにかけてくれそうな言葉ではある。

 感情や記憶の薄れ方、という意味では時間が解決してくれることって確かにある、生物学的にみるととても納得な言葉なんだけれど、それ以外においては只管に厄介な言葉が蔓延しているなと感じる。

 今のご時世においても、集団免疫を獲得する、なんて話はまさにそうだし、仕事においても、あと一年後には...みたいな話を上司はじめ古株がしている事がよくある。デジタルに対してのアナログ世代の言い分も大体そう。時間が経てば経つほど、そこに解決策のきっかけや機転になる人や物の流れは発生していくわけだから、確かに間違いではない。

 ただ、そんな受け身で生きていると、10年経った時に1つしか解決していない人間と、あらゆることを解決できた人間との差は生まれるだろうなと想像に容易い。

 自分が上手くいっていない時に思い出す事の多い言葉でもある「時間が解決する」という受け身の極み。
 解決するまで「石の上にも三年」のような阿呆な苦行に悦を覚えるくらいならば、自ら解決に動いた方がよほど楽ではなかろうかと思う。

 感情や記憶に対しても、時間が経つよりも新しい感情や記憶を自ら作り出していった方が余程早く幸せになれそうでもある。

 ふとした時に普段耳にする言葉への違和感を過渡期の記憶として残しておく。

この記事が参加している募集

習慣にしていること

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?