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読書が不等価交換に感じる理由

 見城さんの『読書という荒野』100冊読んで1冊当たるかの確率の良書だと思います。おすすめです。本好きなら是非。

 世の中には本を読まない人も多いと思うし、読書家否定派の人も結構多いなと思います。かくいう私も若干それに近くて、読書家には懐疑的です。本当は1冊の読書に対して100回くらい行動した方が良いと思います。恋愛小説でも実用書でも教養書でも。

読書家=行動家でないと、読書の意味は然程感じません。

 教養も活用場面がなければ頭でっかちにしかならない。使わない知識はコンピュータにでも記憶させておきましょう。

 それはそうと。読書という行為はかなり効率的だなとも思います。作り手と受け手の不等価の差が凄い。時間という意味では大体のものが等価交換で、サービスは等価交換が殆ど、料理も読書に比べればほぼ等価交換。

 本来広義での『ものづくり』は作り手の方がコストが多くて当たり前です。大多数に向けて作るから割に合うけど、対象が1人となれば作り手の方が大変。本は大量に印刷されて、大多数に向けて売られるけど、『読書』という行為は1対1になるものですから、圧倒的に作り手の方が大変で、受けては楽チンです。効率的ですね。

 良い小説は、作者の想像の世界を楽しめるし、時代小説なんて史実も学べる。ビジネス書は作り手の手間はあまり無さそうだけど、ビジネスにおいて使える場面は多くあります。専門書や教科書も知識を吸収するには効率的ですね。

 『作者の人生と想像力の凝縮が本』だと思います。数時間で人の頭を楽しめる。良書を探すのは少し手間ですが、探す時間があれば一冊でも多く読むと良いと思います。

 冒頭で紹介した見城さんの言葉を借りると、読書は『自己検証、自己嫌悪、自己否定』を読書を通じて行い、自分の愚かさを自覚する事。これが私もしっくりきました。

 人間の血生臭い所も、ドロドロした欲望も、ドン底の絶望も、全て本を通して少しでも理解したい。世の中の理不尽や不条理やめちゃくちゃ正反対の考えもまるごと、知れる訳です。数時間で。

見識者で評価者で認識者は何も生まないけど、実践者も認識する事から始まります。

 自分がどんなにバカで、欲深いところもあって、自分に絶望するけど、だからこそ、生を大事にしている。『振れ幅』ですね。人生の底も味わってみないと希望は語れない。

 抽象的な話になりましたが。作り手の負担が大きい生産物は効率的です。映画も良いですが、信頼できる人に紹介してもらったり、本の中で新しい本に出会うようにして、良書を読むのが効率的だと思います。

 本というメディアは、極端に偏った価値観と、人間が想像出来る最大級の地獄と天国を、作者の言葉から感じ取れます。

 映像だとNG、SNSでは炎上、耳と目に生ぬるく優しく見える現代では特に読書の意義は大きいと思います。

#コラム #日記   #読書

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