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ゲームの思い出:ロックマン2 Dr.ワイリーの謎

 かつてロックマン1や2をクリアできることがステータスになった時代があった。

 僕の通っていた小学校の僕達の学年だけだったかもしれない。しかし、ロックマンの僕達の中での扱いはマリオと同等かそれ以上だった。

 当時の最新マリオ、マリオ4ことスーパーマリオワールドはクリアできるのが当たり前扱い。実際に努力すれば本当に誰でもクリアできる程よい難易度でスーパーファミコンで1、2を争う名作だと言う人は多いだろう。僕も1位ではないにしろ好きなゲームの1つだ。

 高難度のロックマン1と2、その中でもロックマン1は最高難易度と呼ばれていた。世間的には2が最高難易度と聞いて高校時代驚いた記憶がある。

 ロックマン2は実はそんなに難しいゲームでは無い。

 ゲームにある程度慣れている人であれば30時間もあればほぼ確実にクリアが、50時間もプレイすれば1時間以内にクリアできるようになると思う。

しかし、それはあくまでもロックマン2を所持し、続けて練習した場合である。

 小学生にとって当時中古でも2980円するロックマン2は手が出にくい代物だった。当時の僕の小遣いが月200円だったので小遣いだけでは1年貯めても買うことはできない。

だから必然的にプレイしたいなら友達の家でプレイしたり貸し借りすることになる。

 しかし、死んだら交代、ボス倒したら交代、大体がこのルールだったが、このルールで続けると下手な奴ほどプレイ時間が減って行き、どんどんプレイできなくなってしまう。

 だから僕達は、その下手だったメンバーが5人ほど集まり、一緒によくゲームをしていた。

1番下手な奴でスーパーマリオブラザーズの1-1がクリアできなかったと聞けばどの程度の腕だったかおわかりできるだろう。
皆でソフトを持ち寄りああでもないこうでもないと攻略する。

コレがものすごく楽しかった。

 最初は下手クソばかりが集まったメンバーだったが次第にうまくなっていき、最終的には噂を聞きつけた他の学校のヤツがポケモンの対戦を挑みにくる程度の集まりになっていた。


 今では考えられないだろう。公園でポケモンを遊んでいるとゲームさながらに見知らぬ少年に勝負を仕掛けてこられるのだ。

ポケモンの話はまた別の機会としてロックマンの話に戻ろう。

 ロックマン2の僕の最速タイムは50分程だったと思う。これは高校の頃ロックマン2を後輩に貰って練習して出した記録だ。小学生当時は一時間を切れなかった。

今のタイムアタックの最速は30分台らしいのでそれほど早い方では無い。

正直ゲームの腕は凡人並の僕でもロックマン2はノーコンティニューでクリアできるようになったゲームだ。

パスワードを残しておけばある程度好きなところから再開できる。

そして無限にできるコンティニューが繰り返しの練習を助けてくれる。

根気を持って繰り返しプレイし続けば、諦めなければ、必ずクリアできる様になるゲームだ。

 ロックマンシリーズは難易度は高いが理不尽な難易度では無かったし、それがわかりやすいゲームだった。

クイックマンステージのビーム地帯を初めて抜けた時。

ヒートマンステージの溶岩上の消える床を初めて突破した時。

最初はE缶がぶ飲みでなんとか倒していたクイックマンをロックバスターのみで何も使わずに倒せるようになった時。

どれも皆で協力し合って突破した大切な思い出だ。


 長いワイリーステージを越えて、初めてラスボスを倒したとき、皆で精一杯喜んだのを僕は生涯忘れない。

攻略祝いで皆でなけなしのお小遣いをはたいて2リットルのスプライトとオレンジジュースを買い、乾杯した。


 ロックマン2は何回でもコンティニューできる。

それは間違いなく回復アイテムよりもE缶よりもどんな特殊武器よりも強力な武器だった。

これがもしコンティニュー回数が決められていたら心が折られていたかもしれない。

……いや、コンティニュー回数が例え無限だったとして、それだけではきっとクリアできなかった。

ロックマン2は一人用のゲームだ。

しかし、友達と励まし合い、協力し合い、皆で考え抜いて、それだからクリアすることが出来たのだ。

その喜びと成果は僕の数少ない誇りの一つだ。



ロックマン2 Dr.ワイリーの謎(FC版)

1988年12月24日発売。

発売:カプコン

※見出し画像は公式の物をお借りしています。問題があれば連絡をくださればすぐに消去します。


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