スプラトゥーンで大会を開催し続けて二年経った

先日、Twitterで「#いいねの数だけスプラ人生をかたる」というタグが流行ったことがあり、散見していく中で、いろいろと振り返ってみたい気持ちになったので、書き留めておくことにする。

スプラトゥーンと、誰かと遊ぶことについて

2014年E3のPV、社長が訊くの開発者インタビュー、そして試写会と、詰将棋のような隙のない流れでスプラトゥーンに魅せられてしまった僕は、発売日から毎晩ずっとスプラトゥーンをプレイし続けていた。ただ、まわりにはスプラトゥーンをプレイしているような友人はおらず、ひたすら孤独にプレイしていた。9月にはウデマエSまで上げることができたが、そこから先はなかなか壁が高く、勝ちきれず悩む日々が続いていた。スプラトゥーンはメンタルが重要なゲームだ。負け続けると状況がどんどんと見えなくなってしまい(味方のリザルトやおかしな立ち回りだけは不思議な事に目についてしまうが)、さらに一層連敗を重ねてしまう。沼と形容するにふさわしい、孤独で寝不足な夜。落ちたウデマエを取り返そうと熱くなって、夜三時すぎまで続けてしまうことも多かった。スプラトゥーンの動画もよく観ており、大会の存在は知っていたが、基本的には自分には縁遠い世界の話で、ガチマッチだけが全てだった。

秋頃、スプラトゥーン甲子園に出たいと思いはじめる。理由はよく覚えていない。ニコニコで甲子園の配信をかかさず観ていて何となくその気になってしまったのかもしれない。メンバーの当てはなかったので、twitterで募集したところ、職場つながりの人たちで目指すことになった。週末に対抗戦を入れる日々がはじまり。それまでのぼっちプレイの日々から少し変容を迎えることになった。チームの構成を考えると、塗りが弱く感じられたので、それまで動画配信者の影響で使っていた.52ガロンからわかばシューターにメインブキを変更した。甲子園には結局抽選に落ちて出れなかった(その後2回応募したけど、全部落ちた)。わかばシューターは2になった今でもずっと使い続けている。

甲子園という目標は抽選落ちという、あっけない結末で終わってしまったが、甲子園を目指す中でTwitter上で知り合っていった人たちと、ミックス杯という非公式大会に出ることになった。4人のプレイヤー名から一文字ずつ取ると、USGJだったので、「うさぎジャパン」と命名した。この名前はとても気に入っている。ミックス杯はガチエリアのみの大会で、タッグマッチのルールがエリアの日が深夜帯に来たときは、みんなで調整してなるべく練習の日程をいれていた。しかし練習の甲斐むなしく、一回戦でぼろぼろにやられてしまう。相手は全員ウデマエS+カンストのチーム、こちらは僕を含めてSが3人いた。結果は残念だったが、大会に向けてチームで練習をしていく中で、すこしずつ連携がよくなっていくことがとても楽しかった。これはガチマッチでは得られない喜びだった。僕はまた違う大会を目指したいと思うようになった。

スプラトゥーンには当時いくつかの非公式大会が存在していた(スプラトゥーン甲子園が任天堂公認の公式大会であるのに対して、ユーザー主催のコミュニティ大会をここでは非公式大会とよぶ)。IOS杯やSyCupといった強豪プレイヤーがしのぎを削る大会、先述のミックス杯(同じチームやすでに大会で実績を得たチームではなく、はじめて組む4人で出場しなければいけない大会。この縛りはその後崩れていく)、Cr杯(ブキに対してコストが設定されていて4人のブキが一定のコスト以下でないと出場できない大会。強いブキは当然コストが高い)のような特殊ルールの大会などだ。中に大器晩成杯というウデマエがS以下(当時僕はS+には上がったことがなかった)のプレイヤーしか出られない大会もあった。大器晩成杯の二回目があれば出たかったのだが、開催されそうな気配はなかった。

そしてある日気づいてしまう。自分で大会を開けば、自分の出たい大会に出れるのでは?と・・


はじめての大会運営

対戦ゲームは同じ程度の実力のある人達と戦うのが、一番面白く、スプラトゥーンも当然例外ではない。ミックス杯のチームメンバーと話す中で、S+のみ、Sのみというように、ウデマエ制限のある大会があれば絶対に出るのに・・・という思いが広がり、最上位ウデマエであるS+になったことがないプレイヤーを対象にした「うさぎ杯」を構想した。S+低-中位者の大会やA+以下の大会のアイディアがあったが、S以下のみをひとまず行うことにした。理由は自分が出たいから。自分が何ヶ月がんばってもS+に上がれないプレイヤーだったからだ。Twitterで募集して、運営スタッフも三人集めることができた。僕は自分が出たいから大会を主催したけど、ただ運営だけ手伝いたいなんてすごいな・・・と驚いた。僕なら絶対やらないなと思った。

大会概要を告知してから一週間ほどして、うさぎ杯の募集を開始した。会社の昼休みにあわせ、ちょうどお昼の12時開始、募集チームは32チーム上限とした。そして、予定していた枠はなんと開始6分で全枠埋まってしまった。とても残念だったが、僕は運営に専念することになった(そして大会前日にS+に上がってしまい、うさぎ杯出場資格は失われるのだった)。

初めての大会開催はとても忙しかった。初心者向けの大会ということもあって、想定外なイレギュラー事項が多数発生し、対応に追われる中で時間はあっという間に過ぎていった。気づけばベスト4まで進んでいた。この辺りで少し余裕ができ始め、配信もみられるようになった。それはらぶぴvsうさぎ丸洗いのカードだった。URLを開いたのはらぶぴの配信で、そのときリーダーの女の子は感極まって泣きながらプレイしていた。実は彼女の放送は練習中からちょくちょくのぞき見していて、S+のプレイヤーを相手に、毎日熱心に練習していたのをよく知っていたので、つられてうるうるしながら観戦していた。

決勝はOASISvsうさぎ丸洗いのカードだった。決勝が始まってから、暫く経っても、一向に試合結果が報告されてこず、不安になった。決勝は三本先取なので、試合が拮抗するととても時間がかかるのだ。出場プレイヤーのTwitterアカウントを確認していると、OASISのひとりがtwitchで配信しているのを見つけた。開くと試合は最終の第5セットまで進んでいた。ステージはキンメダイ美術館だった。OASISの4人は、S+未到達と思えないほどの美しい連携をしており、メンバーの報告や声掛けも、トップチームと引けをとらない素晴らしいものだった。OASISがリードするが、うさぎ丸洗いも塗りがとても強く、何度もペナルティを付け返して、決勝にふさわしい熱気に満ちた試合だった。

僕はそれからOASISのアーカイブを何度も見返し、大会を開催して本当によかったと心から思った。

スプラトゥーンの大会運営は、下手をするとスコアを入力するだけの機械的な仕事に終わってしまうかもしれない。ただ実際には参加するプレイヤーのそれぞれにいいねの数だけでは語りきれないほどのドラマがある。チームを組むところから始まり、多くのチームは何度も練習を重ねて、少しずつ連携を深めていく。練習に対する温度感の違いから、険悪になって解散してしまって、大会を辞退するチームもある(それはそれで悲しいのだけど、それだけ真剣なプレイヤーもいるということで、仕方の無いことだと思う)。大会を通じて知り合ったプレイヤーと意気投合し、その後もずっと遊び続ける人たちもいる。大会において全てのチームが優勝することありえない。結果を出すことができるチームはほんの一部で、もしかしたら多くは不本意な結果に終わってしまうのかもしれない。どんなに実力差が出ないように調整することができても、相手のいるゲームである以上、必ずそこには最下位のチームが存在する。結果が出たこと・勝つための過程を踏んでいくことには当然価値があるが、それが大会から得られる何かの全てではない。全敗で予選敗退しても、それは変わらない。自分の主催した大会で、知らない誰かのゲーミングライフにちょっとした影響を与えることができたり、誰かと遊ぶことの楽しさをより強く感じてもらえることができるということは、想像外の喜びだった。スプラトゥーンのコミュニティに貢献したいというような美しい志ではなく(それを否定するわけではない)、そういったささやかでプリミティブな感情を得たくて、僕は大会をまた企画するようになった。

うさぎ杯、ねおち杯、ゆうやけ杯

それから僕はウデマエの近い相手としか戦えない「うさぎ杯」を7回、深夜から開始する「ねおち杯」を5回開催した(感謝祭的な「おつきみ杯」というのもやった。またやりたい)。うさぎ杯は途中からS+未カンストのみ、大会未優勝のみといった複数のカテゴリを同時開催するようになった。実のところすっかり忘れていたのだが、当初の構想を図らずも実現する形となった。そして、通常非公式大会は20時頃からはじまるケースが多いのだが、家庭や仕事の都合などで大会に出られない人に出てもらおうと、23時からの大会を企画したのがねおち杯だ。うさぎ杯と違って参加の制限は緩めた代わりに、ウデマエに応じたハンディをつけたりもしている。来週22日の日曜日には、新しい試みとして30歳から参加できるゆうやけ杯という大会を開催する。スプラトゥーンは10代、20代の反射神経とゲームセンスに優れたプレイヤーが多く活躍していくが、その影に30代・40代で楽しんでいるプレイヤーもかなりいるので、そういった人たちでも楽しめる大会として企画した。

僕はいつも自分がこんな大会があったら出たいという大会を企画している。それが誰かに影響を与えて、いろいろな大会が生まれて、自分もその大会に出られることが理想だ。だから自分の大会を真似してくれるととても嬉しいし、参加してくれた人たちが、自分でも大会を企画してみたいと思ってくれたらいいな(出たいな)と思っている。実際には自分が主催することで、同趣旨の大会が生まれにくくなっているような気がしており、これはなんとかならないだろうか・・・

何者でもないスプラトゥーンプレイヤーであり、まだ大会に出たことが無い、あなたへ

非公式大会の中には、プロチームやそれに匹敵する人たちが出場するようなハイレベルなものがある(今Splat Japan Leagueというのをやってるんですが、機会があって微力ながら少しお手伝いしたので観て下さい)。トップの配信者で10万人くらいの視聴者だろうか。ハイレベルな大会で活躍するスタープレイヤーの配信を楽しむ人たちの中には、自分には大会なんて敷居が高いなというプレイヤーもたくさんいる。また、いつか強くなったら大会に出たいというプレイヤーもたくさんいる。かつての僕がそうだったので、その気持はよく分かる。でも大会にでるのは、いつかでないといけないのだろうか?大会に参加する喜びは、何者でもないプレイヤーは味わえないのだろうか?そんなことは決して無い。もしあなたがスプラトゥーンというゲームをプレイしているなら、ぜひコミュニティ大会を探してみてほしいと思う。チームメンバーを揃えるのは確かに少しハードルがあるが、それを乗り越えられたときに得られるものについては、それに見合うものであると保証する。


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