見出し画像

読書雑報

G氏との対話-「死の宣告」をめぐって④

 それからしばらくしてG氏は、ブランショとセクシュアリティに関する論文を寄稿した雑誌を私に送ってくれた。その中で氏はJとNに焦点を当てながら、『死の宣告』の読解に1章を費やしている。そして私の、もはや妄想とも言える『ミイラ説』を、汲み上げてくれていたのである。

「『生きた』証拠」とは何のことだろうか。いまもなお「生き続けている」Jの手のことではないだろうか。あるいはもしかすると、ミイラであるのかもしれない(65)いずれにせよ、Jの死後ものこっているJの写し、イメージである。
繰り返すが、彼女が覆いを取って見た、そして自分にもそれを望んだ「もの」が何であるのかを厳密に知ることは不可能である。読者に明示されているのは、それが彫像師のところにあったこと、頭や手の鋳型を取ることに関わる手術を経ていること、「永遠に生きている」ことだけである。ただ、これらの事実から前半部の物語を想起しないこともまた不可能である。Jの両手の石膏型を見て手相家が「彼女は死なないだろう」と言ったこと、語り手が「〔Jの両手は〕いまこの瞬間も目の前にあって、生き続けている」と述べたことなどを。とはいえ、それがJの両手の石膏型だと、あるいはミイラだと断言することもまたできない。

 G氏から「注」を見るように言われていたので私は注(65)を見た。そこには幾行かのフランス語の出典を示した注に囲まれ、次の1行があった。

(65)ミイラの可能性については□□□□氏にご示唆いただいた。記して感謝したい。

 (□□□□には私の実名が入る)
 「ミイラの可能性」それはまるでシュルレアリスムの詩のようであった。
 そしてこの出来事、私が思いもよらぬところで、この一行の詩のようなものに出会うまでのいきさつを文章に残そうと考えたのだ、10年前に。

 そうして私は、10年という時が形作る円環のようなものを感じて、感慨に耽っていたのだが、同時にその背景、広がる暗がりの中に、もうひとつの巨大な円環がゆっくりと軋りながら回転しているのが見えるような気がしてきたのだった。それは、物語の背景、ミュンヘン会談前後の、不気味な、独裁者が増長していくのをなすすべ無く見つめている感覚と、現在の、おそらくは人類最後の独裁者たちのひとりが、核をちらつかせるその仕草を同じく、なすすべも無く見せつけられている我々の状況の類似である…。

 この記事もそろそろ終わりに近い。当初、この物語が完全な創作ではなく、1930年代、「右派青年ジャーナリストだったブランショ」(月曜社『ブランショ政治論集』訳者あとがき178P)自身の実生活に、基になった事実が存在するだろうという推測を前提して始められた調査は、Jのモデルがコレット・ペーニョであったことにより物語の読解、解釈の可能性を測る思考へとその問題領域を移した。それはG氏の論文をもって、確実にその限界線が再認されたようである。最後に、私が10年ぶりに再読した『死の宣告』で、自身のミスリードを発見したと思われる箇所について、そして新しく生まれたひとつの疑問について語り、本稿を閉じたいと思う。
 それは物語のクライマックス、Nの行方を探す語り手がO街のホテルの部屋を訪れる、その部屋での3度目の場面である。

その部屋に誰か人がいるということを知るには、さらに足を一歩すすめる必要もなかった。もし私が前進すれば、誰かが急に私の前に現われて、すぐ近くから、はかり知れぬほど近くから私に触れるということも知っていた。これまでになく深い夜に包まれたこの部屋のすべてを、私は知っていた。私はそれを見ぬき、自分のなかで感じていた。私はそれを生きさせていた-生ではなく、生よりもはるかに強く、この世のいかなる力も打ち破ることのできないひとつの生命によって。この部屋は呼吸していなかった。そのなかには影もなければ記憶もなく、夢もなければ深さもなかった。私は耳を傾けたが、誰も語らなかった。私は見つめたが、誰も住んでいなかった。だが、そこにはこの上もなく大きな生命があった。私がそれに触れ、それもまた私に触れたひとつの生命、他の生命と同じ生命があった。それはその肉体で私の体を押しつけ、その唇で私の唇に印を押した。その眼は開かれていた。この世で最も生き生きとした、最も深い眼で私を見つめていた。このことを理解しない人は、死んでしまうだろう。なぜなら、この生命は自らの前から遠ざかる生を、偽りのものに変えてしまうからだ。(268~269P)

 私はかつてこの部分を、その部屋を訪れているNの存在を語り手が予感している表現と読んでいたのだが、この直後、彼は急にNの存在に気付いて驚愕する。

そのとき突然、誰かがそこにいて私を探しているという確信に襲われ、私は思わず身をひき、はげしく寝台に衝突した。すると急に、三、四歩はなれたところに、私ははっきりと見た、彼女の眼のあの死んだうつろな炎を。私はあらんかぎりの力で彼女を見つめなければならなかった。そして彼女の方も私を見つめた。だがそれは、まるでずっと遠くに、無限に遠くにいる私を見るような、奇妙な見つめ方だった。(270P)

 この「まなざし」の描写の違いを私は素通りしてしまっていたのだ。つまりそのO街のホテルの部屋にいた誰か、入るや否や語り手の前に現出し、彼を見つめた「この世で最も生き生きとした、最も深い眼」は、Jであり、それは「死んだうつろな炎」をたたえるNの眼差しとは対照的なものだ。おそらくその部屋の衣装箪笥の中にある「生きた証拠」を依代として、この「Jの死後ものこっているJの写し、イメージ」は以前からこの部屋を支配していたのではなかったか。この部屋を訪れるたびに恐怖に襲われ不調をきたすN、異様な冷気…。

そのとき起こったことは、すでにずっと前から起こっていたのだ。いや、ずっと前からというより、測り知れぬほどまえからかもしれない。しかし、私は夜ごとの生活のなかでそれを感じていた。私とその予感とは、そこで秘かになれ合っていたわけだ。(268P)

 そしてこの後、Nの侵入を許してしまったことにより、「生きた証拠」は彫像師のアトリエに移動されたのか。

 「生きた証拠」とは、やはりJの頭部と両手の石膏型と読むのが順当なのかも知れない。しかし、ここに来てまで、私の中には新しい疑問、いや妄想が生まれるのである。「それでは、コレット・ペーニョのデスマスクが存在する可能性はないのか」と。この疑問は、もはや物語の外側にある。

異常なことは、私が筆をおく瞬間からはじまるのだ。(212P)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?