ケツを拭く紙にもなりゃしねぇってのによ

漫画“北斗の拳”の冒頭で、悪党が食料を奪った後、アタッシュケース満杯のの紙幣を砂漠にばら撒きながら発したセリフ「こんなもんまで持っていやがった!今じゃケツを拭く紙にもなりゃしねぇってのによ!」は文明や社会システムの崩壊を読者に伝える重要なシーンだ。

だが私はずっと気になっていた。

「ケツを拭く紙にはなるんじゃないか?」と。硬い紙幣でも揉みほぐせば、草木や砂で拭くより尻には優しいはずだ。

なのに核戦争後の、木は枯れ果て貴重な水を奪い合う世界でも紙幣はケツを拭く紙にならないのか?答えは一つしか想像出来ない。

北斗の拳の世界には潤沢な量のトイレットペーパーがあるのだ。

現実世界では先進国ですら、一部の人間が買い占めに走るだけで店頭から姿を消すトイレットペーパーが、核戦争後の世界では奪い合う対象ですらないのだろう。

北斗の拳の世界は拳王軍、聖帝軍、牙一族、帝都軍などが暴力で支配しており、常に一触即発の緊張状態なのだが、トイレットペーパーの生産、流通、在庫管理は滞りなく行われ、それぞれの拠点を誰も独占していない。物々交換で優位に立てるのにだ。

おそらく刃を通さないほど皮膚を鍛えた猛者や、素手で岩を砕く強敵達も、肛門だけは鍛えられない弱点なのだろう。

ゆえに、運良く核の炎を免れた製紙工場は各軍隊の不可侵領域とされ、迂闊に手を出せば全てを敵に回す聖域となったのではないか。

暴力で支配された世界においても、肛門という共通の弱点を持ち、他人の痛みを理解しあう事でどんなに非情な略奪者もトイレットペーパーだけは等しく分け合うのだろう。

私は、災害や疫病で混乱した時こそ、北斗の拳を思い出し、物資の買い占めに走らない人でありたい。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?