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長野の受験事情。

週に1回、塾講師の仕事をさせてもらっている。
佐久に移住してから所属は変われど、塾講師の仕事をずっとやらせてもらっている。思い返せば、大学生のころのバイトで家庭教師をずっとやっていた。移住してからは、まずは生活しなくてはいけなかった。農業が軌道に乗るまでバイトをやる必要があって、かなりの数のバイトをこなしたが、今でも続けているのは塾講師だけだ。

話は脱線するけど佐久に来てからのバイト遍歴は、、、

パチンコ屋の店員、菱野温泉での厨房手伝い、家庭教師、塾講師、野菜の収穫(ズッキーニ、インゲン)、高原野菜の集荷(4tトラックで小諸や川上へ)、酒蔵のお手伝いなどなど。

パチンコ屋さんは大変だったなぁ。
なにしろタバコの煙が目にしみる上に、通路をダッシュして箱の交換をしないといけない。腰を壊さなかったのはラッキーだった。でも面白かったな。独特の世界で。僕はパチンコをいまだにやったことがないので、ルールも今ひとつよくわかっていないのだ。

話は戻る。塾講師も色々な塾でお世話になったのだけど、最終的にご縁があって個人塾を一緒にやらせてもらうことになった。その塾に、今でもお世話になっている。

受験を控えている中学3年生も在籍していて、地元紙に掲載される受験情報はいつもチェックしている。

僕が高校受験をしたのは24年前。まだ埼玉にいたので今の長野県の受験事情とはだいぶ違う。
当時の埼玉の受験は私立、公立の二本立てが基本で、それぞれの推薦枠と一般枠があった。都合、4回受験があるということ。さらに私立は併願などバリエーションもあったので、受験の練習とか、滑り止めとかで受験に向けて何度か私立の受験をするというやり方もできた。私立は自分の学力に応じてグラデーションのように学校がったので、色々選べたし、公立も選択肢がいくつもあった。

ところが長野(の第二通学区)は少々違う。

近隣で限定すると、私立は1校、公立も14校しかないのだ。
すると、学力によって自ずと行ける高校が1つに絞られてしまう。

また、受験に落ちた時の二次募集についても、募集する高校がかなり限られてしまい、その時には自分の学力と合わない高校に行くことになりがち。
そこで、多くの子は自分の学力に合った高校を受験し、ほぼ落ちないような受験ということになる。

埼玉の頃の受験は、絶対受かる安全な高校、ちょうど自分の学力に合った高校(倍率によっては落ちるかも)、挑戦して受ける高校など、受け方も多彩だった。

埼玉がいいとか長野が悪いとかではないが、移住した当初は、受験スタイルが大きく違うことに衝撃を受けたものだ。

さて、自分の子が受験するのは10年後。
どんな世界になっているのか。

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