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戌立遺跡企画展にいく

お米作りを始めてから、稲作について色々知るうちに、日本で稲作が始まったとされる、弥生時代に興味が湧いた。いろんな本を読んでいくと、どうやらきっかり弥生時代になってから稲作が始まったわけではなく、縄文時代から少しずつ稲作はあったのではないかと。
さらに、稲だけではなく、粟とかの雑穀も栽培していたようだ。

そんなわけで、縄文とか弥生の暮らしについて関心がある。
(それで青森でも縄文関係のスポットにも行った)

今回参加した「戌立遺跡企画展」は、僕が通っているデッサン教室の先生が、東御の戌立遺跡の保存会の会員の方でもあって、情報を教えていただいた。

そして市民学習会として、「戌立遺跡・寺ノ浦遺跡 ~縄文時代の風景~発掘調査の成果より」というタイトルの講演会もあったので参加させていただいた。東御市教育委員会の学芸員の方と、小諸市教育委員会の学芸員の方をスピーカーとして、それぞれの遺跡についての解説をしてくださった。

隣り合う、東御の戌立遺跡、小諸の寺ノ浦遺跡、水源や森が近くにあり、日当たりの良いこの土地が当時の縄文人に選ばれて、いくつかの集落があったらしい。

そこで発掘された土器や土偶が所狭しと文書館には展示されている。

特筆すべきは実際に手で触れられる土器がたくさん用意されている。
ザラザラだったり、ツルツルだったり、模様も手で触れて体感することができる。さらに、触れられない土器も多くはケースに入っていない状態で見ることができる。生の土器を近付いて見ることができるのだ。

見れば見るほどに、その模様や土器の形状に疑問が湧いてくる。
先日、青森の是川縄文館に行った時に見た土器とは全く違う形状をしている。

ざっくり言うと、青森の方は模様が洗練されている。
戌立の土器は、とってもワイルドだ。何のための形状なのかパッと見で
わからないような形状をしていて、想像する余地がたくさんある。
日常で使うには不便なのでは?と思うくらい、ゴテゴテに造形が施されているのだ。

土偶の形状もいかにも不思議。
穴だらけの土偶や、笑ってるように見える表情。
地域によって出土するものがこんなにも違うということに、また興味がそそられる。

解説によると、新潟など、県外で出土された土器の特徴を持ったものが、ここ戌立には集まっているらしい。

長和町の黒曜石もそうだけど、日本全国からここ長野には情報も人も集まっていたようだ。今も移住者が集まっているのだから、あながち昔も今も変わっていないのかもしれない。

がん!がん!がん!


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