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「親にマンガを捨てられる事変」で失われた作品に出会うとき

マンガ好きの皆さん、親御さんに自分のマンガを根こそぎ捨てられた経験ってございますか?

私はあります。過去2回。もう中年に差しかかる歳だというのに、未だに思い出す時があります。

強烈に覚えているのは、第一次事変。小学校5年生か6年生の頃です。
当時、我が家のマンガの棚は2階へ上がる階段を上がりきったところ正面にありました。そこに私と弟は、小さい頃から二人で集めたマンガをたくさん収納していました。

ある日、学校から帰ってきて階段をトトトトト♪と、勢いよく手をつきながら駆け上がると、途中から見えてくるマンガの棚に色がない・・・。
いつも背表紙のいろんな色が並んで棚に詰まってるのに。
なんか・・・全部茶色い。
あれ?なんでや?
木目しかないやん。
木目しか・・・。
・・・
え?
・・・空っぽ?

そこにあるべきマンガが全て無い、という事に脳の処理が追い付かず、木製の棚の「木目がある」というワケの分からない所から処理が始まっていたんですね。マジかわいそうな私の脳。

何か重大な事が起きたに違いない。でもなるべく平静を装って、先に学校から帰ってきていた弟に尋ねました。
私:「なあ、なんか・・・マンガ無いねんけど?」
弟:「・・・お母さんが捨てた」
私:「は?なんで?」
弟:「(『ついでにとんちんかん』の)毒鬼警部が天地くんと裸でベットに寝てんのはあかんねんて
私:「は?」

ぬけ作先生

「は?」
『ついでにとんちんかん』えんどコイチ
※これは、毒鬼警部ではなくぬけさく先生

どうやら、私と弟が学校に行っている間に、棚の『ついでにとんちんかん』を開いてみた母親が、毒鬼警部と天地くんのギャグを「教育に悪い→きいいいい!許せない→マンガ全部捨てよう」と思ったらしいんですね。

泣いたー。

涙は出さずにこらえて耐えて、心で大泣きした気がします。
なぜ『ついでにとんちんかん』だけじゃなくて、マンガ全部を捨てたのか
とか
この作品はギャグ漫画であり、我々もギャグとして受け止めているので、そこまで教育的にシリアスにならなくていい
とか
他の作品の良い所については検討せず無視したのか
とか、いろんな反論が頭をグルグルしたのですが、怒り心頭な母親には逆らえず、ただただ喉に何か大きな物がつかえているような感覚に耐え続けた記憶があります。

母親に問えたのは、作品の行方だけw
私:「・・・シニカルヒステリーアワーも捨てたん?」
私:「・・・お父さんは心配症も捨てたん?」
私:「もう、ゴミの車行っちゃった?」
母:「うるさいよ」

初めて文章にしたけど、震える・・・w
思えばマンガ好きが強化されたのは
(言い換えればマンガに執着するようになったのは)
この時からかな?とも思いますね。

当時は母に対してメラメラと復讐心に燃えていましたが、長い歳月がその炎を小さくさせ、ゴツゴツとげとげの心は少しづつ擦り減って丸くなっていきました。

しかし、30年以上経った今でも、たまにチクチクするんですよね。
当時の捨てられた作品に出会ってしまった時です。

あの頃、私はもう二度とあのマンガたちには会えないと思っていました。
すぐ買い直すお金は無かったし、BOOKOFFみたいな大型古本屋チェーン店もまだ身近にありませんでした。

でも、今は当時と違って古本チェーンもあるしインターネットもあります。
古い作品が古本屋で並んでいたり、フリマアプリで売られていたり、電子版で出ていたりするんです。

凄く嬉しいです!見つけると
「おおおお!こんなとこに居たの?久しぶりーーーーー!うわあ。変わってないねーーー!!!!」
てな感じで心の中で盛り上がります。

でも、中身は変わらないけど、あの頃あの家に居たマンガたちとは違うんですよね。その違いがチクチクを再燃させます。
古本なら、他の誰かの家での知らない日焼けや汚れがあるし。
電子版なんて当時はありませんでしたから、なんか・・・キレイなジャイアンみたい。

もちろん、今それらを買い直しても楽しめるし、面白いと感じます。
ただ、姿かたちは同じな別人のような気がしてしまいます。

その度に思うんです。
そうか、そうか。私にとって「マンガ」とは、その面白さの他に一緒に過ごした時間とか関係性も大事だったんだなあと。
自分の本棚に並んでいる光景も含めて「マンガ」だったんだ。
友達に読ませるために、袋に入れて持って行った道のりも含めて「マンガ」だったんだ。
本屋さんで、来月入るお小遣いの事を計算しながら、何時間も考えてやっと1冊選んだことも含めて「マンガ」だったんだ。

だから、あの時の「作品」には今でも会えるけど、私のあのマンガたちにはもう一生会えないんだなと。・・・ちくしょー。

まあ、心の傷はおいおい癒していくとして。
(癒えるのか?)
30年以上過ぎた今でも、あの時捨てられた作品たちに会うと、こんなに新鮮に心が痛むという事が驚きです。
それだけマンガって、私の中に在る、私を構成する大事な物の一つなんだなと感じさせてくれる出来事です。

うう。ちくしょー。

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