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単位救済処置を求めるメールの行方

 試験に落ちた学生さんからメールが来た。あぁ、そういう時期か、と思う。いつ頃からか、学生さんが落とした試験の救済をメールで依頼してくるようになった。メールでくるのが時代だなぁと思うのだ。

 自分が学生だった頃は、単位を落とした場合、教授の部屋の前で張り込みをする、という作戦がおこなわれていた。いわゆる直談判である。しかし、そもそも「そういう作戦が通じる教授」と「そういう作戦をしてはいけない教授」みたいな選別が学生の間で先輩方から脈々と受け継がれていて、絶対に助けてくれない、と言われている教員のところには近寄らなかったものだ。

 私も学生時代に単位を落としたことがある。他学部に取りにいっていた講義と、○△数学Xの講義だ。他学部の講義は翌年に取り直すのは時間割の都合上難しかったので諦めた。そもそも単位がメチャクチャ厳しいという噂の教授だった。しかし講義はとても面白く、自分の人生を豊かにしてくれる楽しい講義だった。なので、単位は取れずとも講義を聴けただけで満足だった。数学の方は取らないと卒業できないので、翌年に死ぬほど勉強した。おかげで翌年は鼻くそをほじりながらテストを受けるような状態で単位を取ることが出来た。なので、私は直談判という手段を自分の学生時代には使わなかった。

 直談判をした、という話はちらほらと聞いた。教授の部屋の前で延々と待ち続けたそうだ。しかし、今や、メール一本でヘルプを求められる。手軽になったなぁと思う。しかも、今日こういうメールが来た、というのを某教授と話していたら、「ネットにテンプレがあるんだよ、知ってる?」というではないか。まじか!と驚いて検索してみたら、出るわ、出るわ・・・。

 驚いた。「 社会人になる前にも常識として身につけておきましょう!」とか書いてある。いや、単位救済のメールを書くのが社会人としての常識なのか?違うだろ。落とさない(=失敗しない)ように事前の準備やマルチタスクのスケジューリングをして、自分の力量と処理速度を俯瞰的に見られるようになることを学ぶことが社会にでるために必要なことだろう。単位救済依頼というのは社会人になるために学ぶべき事象からは明らかに逸脱している。

 しかし勉強になった。教えて頂いた某先生に感謝である。なるほど、こういうのを見てメールを送ってくるわけだ。時代は変わったなと思う。

 実際のところ、今や研究室の前で教授を待ち伏せってのも出来ないだろう。講義棟と研究棟が分離されたり、理系の研究室であれば講義棟から繋がっている部分に通行証が必要な扉が出来た大学も多いのではなかろうか?出張で他の大学に行っても研究室に行くには、相手先の先生に建物の入口まで来てもらうか、受付で記入をして入館パスを貰ってから通らないといけないことも増えた。研究室には薬品や貴重な資料があるわけで、私が学生だった頃のように研究棟にフリーに出入りが出来る大学は少ないだろう。学生証で通行できる範囲は今や限られているのだ。その障壁の高さを考えると、やはりメールという手段になるんだろう。そりゃ、まぁ、仕方ないよねぇと思う。

 で、そういうメールが来た際の対処ってのは難しいと思う。教員によって違うんだろうなと。ちなみに私は、どうしているかというと、そのままメールをそっとゴミ箱にいれてしまうことが殆どだ。なかったことにしてしまう。メールって届かないこともあるよね、と思いながらそっと白山羊さんに食べて貰う。理由は単純だ。成績を入力して送信状態になってるということは、私なりにやれるだけの救済処置を既にした後だ。その救済処置でも駄目だったわけだし、そのメールを受け取った後も救済処置をするのであれば、一人に対してではなくて、落とした学生さん全員に対して行うべきものだ。それに既に公開されてしまった成績の場合は変更することなど出来ない。昔はどのように成績をつけていたか知らないけれども、今の時代のシステマティックに作られた成績評価システムでは、送信状態にしてしまった成績は変更出来ない。もし自分に瑕疵がある(例えば成績をつけ間違えていたりした)場合であれば学務にすっ飛んでいって担当者の方に頭を下げて、もう一度入力出来る状態に戻して貰う依頼をすることになるだろう。

 なので、成績を変更するというのは大事で、基本的にはつけてしまった成績は変更しない。救済処置はその前にするものだし、メールを送ってきた方にだけするものでもない。それに、こういう話題をするのにメールというのはどうも向いていないような気がするのだ。もう既に成績を変更出来ない旨を伝えるのに、どんなに気を使って文章を練っても、メールでは時に冷たい文章として受け取られたり、相手を怒らせたり、悲しませたり、してしまう。文章というのは「塩梅」が難しい。ビジネスの手段としてはいい。でも、こういうセンシティブな話題はメールという媒体は向いていないような気がするのだ。しかも教員と学生さんという立場の違いや生きてきた時代の違いから生まれる「同じ文章から受取るニュアンスの違い」を埋めるだけの作文というのは本当に難しい。

 なので、単位救済処置を求めるメールってのは、あまり効果がないのではないだろうか?と思うのである。効果があるとすれば、成績公開前に複数人から同じような内容のメールが届いた時に「あぁ、今年のテストはちょっと難しすぎたかなぁ」ということで、再試の内容がちょっと簡単になったり、点数の配分が変わったりぐらいの程度ではないかと。少なくとも「社会人になる前の常識」というものではない。なので、メールで直談判は効果があるとか、メールで直談判して単位をもぎとったことをSNSで自慢しているような学生さんに惑わされちゃ駄目ですよ、とここに記しておきたい。

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