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編集長にこだわり続けてきた理由

【定期的にオンラインサロン「蹴球ゴールデン街」の投稿を表に出そうシリーズ】ということで、昨日の投稿をシェアします。こんな感じの文章を、基本的に毎日投稿しています。

おかげさまで、500人まで増員した定員も、気づけば430人となり、残り70人となりました。500人に達したら、しばらくは増やさない予定なので(多くの人から要請があった場合のみ検討します)、入ろうと考えてくれている人は、ぜひ検討よろしくお願いします。面白い人がたくさんいて楽しいです!

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昨晩は井上マーさん(サッカー大好きな芸人さんで、芸人以外にもJリーグ中継の実況をしたり、南葛SCのスタジアムMCをしたり、サッカーゲームの実況をしたりしてるマルチな人)のYoutube番組「あつまれ!ミルアカ横丁【おじさんによるおじさんのためのオンライン居酒屋】」 (アーカイブも見られるので、興味ある人はぜひ。飲みながらなので、かなりぶっちゃけトーク満載です!)にゲスト出演させてもらいました。

スタートが23:30と遅く、しかも、話しが盛り上がって深夜2時すぎまでガンガン飲みながら収録したので、今朝はきっちり寝坊しちゃって、起きたら10時すぎでした。11時から、ZOOM打ち合わせが4本あって、気づいたらもうこんな時間です(16:30)。これからリアル打ち合わせも増えてくる中で、毎日投稿する文章を書くためには、早起きするか、前日までに書きためておくしかないかなー、なんて思ってます(以上、長々と、投稿が遅くなった言い訳でした!)。

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▼編集長にこだわり続けてきた理由

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さて、本日は「編集長にこだわり続けてきた理由」について書きたいと思います。

前職のフロムワン時代、2001年に『totoONE』(サッカーくじtotoの予想&情報紙)と『CALCIO 2002』の編集長に就任して以来、その後、取締役になろうが、専務取締役になろうが、代表取締役社長になろうが、一貫して「編集長」という肩書きにこだわり続けたのですが、それには理由があります。

まず、一つ目の理由としては、メディアのクオリティーを保つためです。経営者サイドになると、メディアのクオリティー以上に、そのメディアの収支だったり、経費だったりに目がいきがちになってしまうものです。実際、採算が合わないメディアに関しては、雑誌だったら刊行ペースを落としたり、Webだったら制作費を減らしたり、という判断を安易にしてしまいがちなんですが、一度落としてしまったクオリティーは、もう二度と戻りません。

でも、自分が編集長を兼任していれば、そのメディアに対する「愛情」も「責任」も持つことができる。まともな編集者ならば、自らが「長」のメディアのクオリティーが下がって平然としていられるはずがないですから。そして、その愛情や責任が、結果的にはメディアの価値を下げないことにつながります。逆に言えば、目先の収支に振り回されてクオリティーが落ちれば、結果的にそのメディアは死期を早めることになるわけです。これは、スポーツメディアに限らず、どのメディアにも当てはまることです。

続いて二つ目の理由としては、編集長はメディアの「顔」であるということ。フロムワンに在籍した20年弱の間で、テレビ各局やラジオ番組、雑誌やWebメディアなど、本当に多くのメディアに出演させてもらいました。特に、テレビには、局の垣根なく、本当に多くの番組に出演しましたが、その際の肩書きは、社長となった以降もずっと「編集長」でした。これはお茶の間の人たちが「よりわかりやすい肩書きを求めている」とテレビマンたちが思っているということです。「社長」だと幅が広すぎて何をしているかイメージしづらいけれど、「編集長」だと、「編集をしている偉い人」というわかりやすいイメージになります。つまり、肩書きが「編集長」だと、より多くのメディアから出演オファーが来る。

フロムワンは、今でこそ、サッカーメディアの中でも、王道と言えるポジションにいますが、『CALCIO 2002』が創刊したのは1998年10月、『ワールドサッカーキング』が創刊したのが2005年2月と、サッカーメディアの中ではかなりの後発メディアだったので、テレビを始めとしたマスメディアに出演すること、そういったマスメディアの人たちと関係値を築いていくことは、メディアの成長にとってだけでなく、会社の存続にとっても、非常に重要な要素でした。

余談ですが、フロムワンの黎明期や、それこそ学生時代のおれを知る人は、おれが人前で話すようなタイプではないことはよく知っていると思います。第一印象は「怖い」「ぶっきらぼう」という感じで、話し方もボソボソとして聞き取りづらく(今でも決して聞き取りやすい話し方じゃないですが、それでもずいぶんマシになりました)、何より人前で話すことに過度に緊張するタイプだったので、自分でも、これだけ堂々と話せるようになったことにビックリです。

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▼編集長は「最大の営業マン」

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そして最後に三つ目の理由。それは、編集長は「最大の営業マン」だということ。2005年春に『ワールドサッカーキング』が創刊された当時、フロムワンとして、まだアディダスから広告出稿をもらったことがありませんでした。創刊に向けて話を進める中、メディアに向けた予算を持っている責任者の人と何度も会食して、「『ワールドサッカーキング』はこういう編集方針でやっていく。アディダスとのコラボ企画も、こういう形で実現したい」とアピールして、まずは創刊のお祝いということもあって、予算をもらいました。

2005年5月、イスタンブールで行われたUEFAチャンピオンズリーグ決勝。リヴァプールがミラン相手に、サッカー史に残る大逆転劇を演じたあの試合に、アディダス主催のメディアツアー(ボールボーイプロジェクト)に、当時、取締役編集長だったおれは会社を代表して参加しました。他のメディアからは、編集長どころか、担当編者クラスしか参加していない中で、なぜ編集長自ら参加したのか。

それは、メーカー(アディダス)の責任者との関係値を高めるためです。担当者クラスが参加するよりも、編集長が参加したほうが、先方の扱いは良くなります。当然、現地でもコミュニケーションは多めになる。さらに、編集長案件なので、タイアップ記事も他誌より多くのボリュームをより早いタイミングで出せます。その結果、その年のアディダスのフットボール関連の広告は、『ワールドサッカーキング』が最も獲得することになりました。

一般には知られていないメディアのメリットとして、「会いたい人に会いにいける」ということが挙げられます。サッカーメディアであれば、「サッカー選手やサッカークラブの経営者、サッカーが好きな著名人」と容易に会えることができますし、編集長というポジションは、そのメリットを最大限に享受できるポジションです。

フロムワン時代から、そのメリットを活用して、サッカー選手だけでなく、「仕事をしたい人」「つながっておきたい人」に積極的にインタビューを申し込んで、会うようにしてきました。『REAL SPORTS』の編集長になった今も、そのスタンスは変えていません。そうやって、つながりを増やすことで、「人と人」「人と企業」「企業と企業」をつなぎ、そこにビジネスを生み出すことができます。少なくとも、フロムワン時代はそれで売上を上げて、サッカーメディア、スポーツメディア不況の時代を何とか乗りきることができました。

以上、おれが「編集長にこだわり続けてきた理由」でした。もっとも、おれがインタビューをライフワークにしているのは、上記のようなビジネス的なメリットは副次的な要素で、本当のところは、人と話すのが好きだから、です。実際、スポーツ選手にインタビューするのも、新宿ゴールデン街で知らない人と飲んで話すのも、楽しさはあまり変わらないですし。そう考えると、仕事でもプライベートでも、自分が楽しいと思えることができているわけで、こういう環境に改めて感謝です。もちろん、この「蹴球ゴールデン街」も最高に楽しいです。というわけで、引き続きよろしくお願いします!

サポートいただいた金額は、すべて南葛SC(東京都1部リーグ所属。Jリーグ入りを目指しています)のために使わせていただきます!