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【しらなみのかげ】没落しようと何度でも #32


この雑記帳「しらなみのかげ」を書くのも、随分と久しぶりのことになる。


過去のアルバムを見返すように、自分のnoteアカウントを開いてみる。最後の更新は一昨年の夏だ。『シン・ウルトラマン』を「新しき神話」として読み解く文章である。2022年7月22日というその日付を見て、この後間も無く、当時世界を覆っていた新型コロナウイルスに罹患したことを思い出す。目立った症状としては、二、三日の間、高熱と激しい頭痛に苛まされ、その後一週間程激しい倦怠感に襲われた位で済んだのだが、最も辛かったのはその後遺症である。


それは、およそ一ヶ月以上も続いた。
頭の中に靄がかかったような状態、所謂「ブレインフォグ」である。ブレインフォグの状態にあると、有体に言えば、集中力が無くなり、頭が悪くなる。「靄」という表現は、概念やイメージ、そして意識と記憶の「解像度」が落ちているあの状態を上手く言い当てていると体感してみて分かった。書物どころか、少々長く高度な内容の文章は読めない。物語の筋書きもよく分からない。外国語も全く読めなくなる。当然ながら、文章など書くことは出来ない。その夏は、紋切り型の概念やイメージの連なりと極々簡単な話し言葉だけで成るような極めて「単純」な世界に生きていた。当然のことながら、そもそもその期間の記憶は、今でも殆ど思い出せない程に曖昧である。


ここで少し、それからのことを振り返ってみたい。本当に色々なことがあった。


「しらなみのかげ」を意識の靄の中へと掻き消したままブレインフォグが晴れてきた時、既に季節は初秋になっていた。茫洋とした時間を振り切って再び立ち上がった私は、当時引き継いでいたNPO法人副理事長の一人として、理事長、そしてもう一人の副理事長と共に、法人として共同事業を始める流れに乗ることにした。その時私は、同法人を枠組みとして、営利事業により非営利事業を賄う「市民大学」を設立しようと決意した。

何故そのようなことを構想したかと言えば、哲学研究者であった私は人文系アカデミアから事実上放逐されていたからである。当時、北村紗衣武蔵大学教授が私のTwitter(現X)上での当時勤務先であった甲南大学の非常勤用ポストに送り付けた内容証明郵便を確認出来ないでいた所、学長と文学部長に直接通知されて、呼び出された際の一部始終を密かに録音し、ネット上に公開した廉により、同大学の非常勤講師の契約更新停止を通知され、更にその直後から北村により提訴されていた。どうしてこのような顛末になったかと言えば、それは言うまでもなく、件のオープンレター「女性差別的文化を脱するために」を、Twitter上でも、note上でも、寄稿依頼を受けた幾つかの誌面上でも、徹底的に批判したからであろう。

兎も角も私はその時、最早これまで自分が歩んできた道は塞がれたと考えたのである。そして私は、そのような背景の下で独自の「市民大学」設立の野望を抱いた。自らが「キャンセル」された経緯からして、真にキャンセルカルチャーに対抗する為には、大学や出版社など特定の機関や業界の構造とは別に、独自資本によるプラットフォームを築く以外に言論・表現活動を続けていく為の方策が無いように思われたからである。加えて、今や「キャンセル」の主要な舞台となったSNSとは別の所に根差す、もっと具体的に言えば、私の住む京都という地域に根差すことにより、強固な基盤を獲得することを目指すことを模索した。

そうして昨年一杯、私は「市民大学」設立を目指し、事業の為に我武者羅に奔走し続けた。先ずは文章添削事業を始めたものの、これはリリース後程なくした時にChatGPTが登場したことにより、殆ど無意味化した。北村透谷や古今和歌集を読む定期の読書会も開催した。営利事業の主幹となる映像制作請負を始動する為に、絵コンテ作り、動画の撮影・編集にも取り組んだ。事業の為の学びも兼ねて、行ける限りありとあらゆる場所やイベントを巡っては営業を掛けた。地域おこしプロジェクトに参加し、学生有志と共に短歌会を企画・開催することも行った。その間、訴訟の件等に絡んだ問題化を防ぎ、法人そのもののブランディングを図る為に、私は自分のXアカウントを敢えて封印し続けた。

しかしながら、経営指針書を作成し、いよいよ本格始動せんとする手前になってから、全ては突如として破綻を迎えた。理事長が資金不足を理由として、事業の最大の要であった事務所をいきなり一方的に解約したのである。これは、これまで立てようとしてきた事業の全否定を意味するものに他ならない。恰度、一月の末から二月の初めのことである。

そもそも、昨年の暮れより諸々の財政状況が極めて悪化していたし、私自身かなり前からそうなる予測を立てていたものの、組織として何ら有効な対策を打てないでいたのである。何より、法人の代表たる理事長だった者が、事業の全体を通して殆ど全くの無為無策であった。長期に亘った経営指針書作成も、我々副理事長二名で熟議を重ねながら遂行したのである。そして理事長は、苦心惨憺の末に完成したその内容を些かも理解しなかった。

詰まる所、時間も資金も持てるものを殆ど全て投じて使い切った私の昨年は、全て水泡に帰したのである。既に非常に苦しくなった情勢の中で何とか事業を構築していこうと考えていた私は、今年の頭から圧倒的な虚脱感と失望感、そして激しい怒りと悲しみに苛まされ、鬱状態に陥った。そこから心身は完全に沈滞し、殆ど何も出来ない日々が続いた。理事長から事務所解約通知をうけて以降、心身の状態は非常に悪化し、個人的な連絡も殆ど何も返すことが出来なくなった。酒と煙草と珈琲ばかりを煽って、食欲すら沸かない時もあった。そうして、ただ孤独と思索の中でしか癒すことの出来ない苦しみに堪える日々が続いた。

そんな中、ただ辛うじて動かすことが出来たのが、Xだけであった。
せめてXだけは、自らの将来的な再起の為に動かさねばならないという強迫的な衝動だけが残っていた。他ならぬこのSNSによって訴訟を抱えて人文系アカデミアからキャンセルされる身となった事実、そして、それとは異なる道を築こうと、今から顧みればごっこ遊びのような起業に邁進した事実を思うのであれば、我ながら誠に皮肉な帰結である。

その裁判は、4月に判決を迎える。
法的な問題となっている事項を逐一自分なりに検討してきたが、素人目に見ても私が有利に進んでいるように見える。だが、名誉毀損訴訟に関する最近の世の動向を横目に見ていると、安心することは出来ない。有り体に言えば、「心理的安全性」に関しての配慮が無際限に拡張されるが余り、「被害」が過剰に甚大に見積もられることによって、この国で言論や表現の自由が制限され始めるまで後一歩という所まで迫っているようにしか思えない。事態は非常に危険な状況にある。そして、世評が裁判の判決に影響しないとは言い切れないので、私も決して楽観視は出来ない。

かくして、又もや様々なものを喪った後、打ち続いていた深い沈滞から重い足取りで抜け出して、私は今こうして一年半余ぶりに「しらなみのかげ」の稿を書いている。意識を覆う靄が晴れてからのあの日々は一体何だったのかということを、今漸く「過去」として己の記憶の中で整理出来たから、こうして筆を執れているのである。挑み、奔走し、形にしようとして、厳しい前途の中に僅かな光明が見えたと思った途端、決定的な何かによって、大抵は私のものではない不測の意思によって阻まれ、挫折を迎えることを繰り返している。畢竟、何一つとして上手くいかない人生である。しかし、何度没落しようと生きている限りは這い上がらなければならない。

私はここでもう一度、嘗てと同じ営みに戻ろうと決めたのである。
すなわち、「探究」と「創作」である。

この営みは、「探究」に加えて「創作」と言っていることからも理解して頂けるのではないかと愚考するが、私がこれまで公で行ってきたような所謂「学問」に止まらないことだろう。その営みの中で私は、たった一つのことを語る為に、そしてあわよくば実現する為に、あらゆる物事について語ることになるだろう。確かに、或る意味では今までもそうしてきたのかも知れない。しかしながら、ここ数年で数多くの挫折を、中でも最大級の挫折を経験した今だからこそ、寧ろ我が人生における機は熟したと考えなければなるまい。

粉骨砕身の末の唐突の破局と少し長かった苦渋の時が、私の存在の奥深くに再び確信を育て上げた、と今になってこそ言える。

さて、私は、今年の六月に三十四歳になる。
三十三歳−それは三十歳から伝道を始めたキリストがゴルゴダの丘で十字架に架けられたと言われる年齢である。私はクリスチャンではないし、単なる偶然であろうかと思うが、生涯の今この時に新生を余儀無くされていることを感慨深く感じている。

この「しらなみのかげ」の劈頭に以下のような擬古文を遊びでものしたことをふと思い出した。初心忘るべからず、である。

こは、日々つらつらと念ひしことのとみに濫れてはすぎゆくに、浦によする沖つ白波の八重をりて、ささなみの下にあまたうたかたの浮かぶがごとく、そのかたちの成りては千々に消えゆくさまを、よろづことのはのうちにひたぶるに拾ひおきて、唯かき記さむとするものなり。つぎつぎ惟ひの流るる心の、ふとたまゆらに清く澄みわたりたる折こそ、生ふることのはの露、おのづからあしたには日影をあつめ、夜には月影をあつめ、かそけきものをもあまねくうつして、やがて花もさきにほひて、いとあはれなれば、うつせみの世の人のみならず、たふとき神すらものに感じておとづるる時なれ。

甲辰の年の桃の節句の夜半に

(この文章はここで終わりですが、皆様からの投げ銭を心よりお待ち申し上げております。)

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