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世界は美しい

芥川、高見、長田が見た世界
芥川龍之介は、「或る旧友への手記」で「しかし僕のいつ敢然と自殺出来るかは疑問である。ただ自然はこういう僕にはいつよりも一層美しい。君は自然の美しいのを愛し、しかも自殺しようとする僕の矛盾を笑うであろう。けれども自然の美しいのは、僕の末期の目に映るからである」と。問題はその末期の目が世界と同時に見ている自己をどのように見ていたか、感受していたか。
芥川龍之介はその後自死した。高見順は世界が美しいと感受し、生きとし生けるものに愛情の眼差しと感謝を注ぐ時があった。
「死の淵より/電車の窓のは」電車の窓の外は
光りにみち
喜びにみち
いきいきといきづいている

この世ともうお別れかと思うと
見なれた景色が

急に新鮮に見えてきた

この世が

人間も自然も

幸福にみちみちている

だのに私は死なねばならぬ

だのにこの世は実にしあわせそうだ

それが私の心を悲しませないで

かえって私の悲しみを慰めてくれる

私の胸に感動があふれ

胸がつまって涙が出そうになる
団地のアパートのひとつひとつの窓に
ふりそそぐ暖い日ざし

楽しくさえずりながら

飛び交うスズメの群

光る風

喜ぶ川面

微笑のようなそのさざなみ

かなたの京浜工場地帯の

高い煙突から勢いよく立ちのぼるけむり

電車の窓から見えるこれらすべては

生命あるもののごとくに

生きている

力にみち

生命にかがやいて見える

線路脇の道を

足ばやに行く出勤の人たちよ

おはよう諸君

みんな元気で働いている

安心だ君たちがいれば大丈夫だ
さようなら
あとを頼むぜ
じゃ元気で――
しかしその後
死の淵を彷徨し、自死ではなく、食道ガンで逝く。1965年享年58歳。
長田弘は2015年、享年75歳で胆管ガンで逝く。最期は如何なる思いであったか分からない。生前の詩は、「死者の贈り物」「世界はうつくしいと」「奇跡/ミラクル」の詩集を通して、この世界の美しさと人間の位置を「向こう」から感受する世界観がある。あちらからこの世界を静かに、ぶれることなく、この世界の豊穣で美しさに満ちた、けっして見ることのできない大きな存在を指し示す。彼はこの見える世界のバニシングポイント(消滅点)の先にある見えない世界を開示しようとする。草花、自然はその徴。自己が招かれた客であることを透視し限りなく自己を縮小していく営為が彼にとって詩を書くことの意義ではないかと。
「世界はうつくしいと」
うつくしいものの話をしよう。 いつからだろう。ふと気がつくと、うつくしいということばを、ためらわず口にすることを、誰もしなくなった。そうしてわたしたちの会話は貧しくなった。

うつくしいものをうつくしいと言おう。風の匂いはうつくしいと渓谷の石を伝わってゆく流れはうつくしいと。
午後の草に落ちている雲の影はうつくしいと。

遠くの低い山並みの静けさはうつくしいと。
きらめく川辺の光はうつくしいと。

おおきな樹のある街の通りはうつくしいと。
行き交いの、なにげない挨拶はうつくしいと。

花々があって、奥行きのある路地はうつくしいと。

雨の日の家々の屋根の色はうつくしいと。

太い枝を空いっぱいにひろげる晩秋の古寺の大銀杏はうつくしいと。

冬がくるまえの、曇り日の、 南天の小さな朱い実はうつくしいと。

コムラサキの、実のむらさきはうつくしいと。-
しかしそれぞれのいのちを根っこから規定する運命:遺伝、境遇、偶然、そしてそれぞれの選びの自己決定性(自由)という存在拘束性と存在の唯一無二という一回性の存在。その不可思議さを彼らから、改めて思い知らされる。芥川龍之介は昭和2年に自殺。「ボンヤリした不安」は時代の政治、社会の大きな不安へ。熱狂と狂乱の戦争が拡大加速化し、破滅への奈落に突き進んでいく時代を予感しつつこの世を去る。次世代の高見順は学生時代には左翼運動に関わり特高により逮捕、拷問の経験をもつ。戦時中は軍の報道班に配属、ビルマ、中国に赴く。終戦間近には川端康成、久米正雄ら(この二人は芥川龍之介と深く縁があり、自ずと高見も゙芥川の自死は十分熟知していたであろう。)と鎌倉文庫という貸本屋を開く。敗戦後の混乱期から高度経済成長期を目撃しながら病院で亡くなる。長田弘は、敗戦時は6歳。その後全てを失った敗戦の赤茶けた大地と混乱を生き延び、復興から高度成長、そしてバブル崩壊と国と自然、そして世界の戦争とジェノサイドの阿鼻叫喚をつぶさに、目撃することになった世代。
末期の眼からこの世界を見つめ、芥川龍之介は自死し、長田弘は生き延びる。高見順は
ガンに追い込まれながら世界の美しさに感銘するも、死の淵に彷徨う。最期の思いはどうであったろうか。3者に共通することは末期の眼を持ちながらも、最後は異なる死を生きた。芥川がそのアフォリズム(警句)で自らの運命を理知的に分析したように、他者の生死を云々するのは軽率であろう。しかし彼の遺作、西方の人、続西方の人において救いを求め、得られずして自死した痛ましい最期。そして子供たちに遺書を残す。「1.人生は死に至る戦いなることを忘るべからず。4.もしこの人生の戦いに敗れし時には汝らの父の如く自殺せよ。」と。自らの人生に敗北を告げる最期の言葉は痛ましい。
世界の美しさに開眼したとしても、その世界に比べ己を含めた人間の浅ましさと罪深さに彼の神経は耐えられなかった。
「瑣事: 人生を幸福にするためには、日常の瑣事を愛さなければならぬ。雲の光り、竹の戦ぎ、群雀の声 、行人の顔、- あらゆる日常の瑣事の中に無上の甘露味を感じなければならぬ。 人生を幸福にするためには?-しかし瑣事を愛するものは瑣事のために苦しまなけれ ばならぬ。庭前の古池に飛びこんだ蛙は百年の愁を破ったであろう。が、古池を飛び出した蛙  は百年の愁を与えたかも知れない。いや、芭蕉の一生は享楽の一生であると共に、誰の目にも 受苦の一生である。 我我も微妙に楽しむためには、やはりまた微妙に苦しまなければならぬ。 人生を幸福にするためには、日常の瑣事に苦しまなければならぬ。 雲の光り、竹の戦ぎ、 群雀の声、行人の顔、-あらゆる日常の瑣事の中に堕地獄の苦痛を感じなければならぬ。 」
長田弘は「奇跡/夕暮れの美しい季節」の中で芥川龍之介の「蜜柑」を思い起こす。車窓から少女を見送る弟たちにだろうか、少女は蜜柑を空高く投げ、夕陽を浴びた蜜柑が地上、後方に軌跡を描いて落ちていく刹那の情景。長田はそこにかすかな希望の輝きを味わう。芥川龍之介は死に、長田は最後までこの世を生き、静かに去っていく。この違いは何処から来るのだろうか。
あなたは何処にいるのか、何処に向かうのかと。彼らの詩
は問いかけて来る。

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