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2月27日ガン友読書会のお知らせ

★2つのヘーゲル研究に学ぶ
西研「ヘーゲル•大人のなり方」/NHK出版と山田有希子の「逆さまの世界ヘーゲル哲学」/東大博士論文から

①再読して見えてきたことはこの間の読書会で取り上げてきた椎名麟三、トルストイ、キルケゴール、カールバルトの各人がその著作を通して生涯追求してきた課題領域と彼らの立ち位置が、漸く見えてきた。彼らにとっての究極的課題、根本対象が如何なる他の世界(自然•他者•社会•歴史)にか関わるか、また関わらないのか。問いの立て方は其々異なる。各人の立つ偶然の場所と時間、それは唯一無二の場所。ヘーゲルの精神現象学の読解を通して以下のことを学んだ。①観点/論点の整理、明確化、絞り込みが大事であること。自分のあり方に関わるか、社会関係における問題事なのかどうか。難しさが通常の意識生活では分離されず混在していて問題の所在と解決に向けての方策が見えにくくなってる。一呼吸措いて言いたいことを他者にわかるように整理して粘り強く待つ。*ヘーゲルの表現は難しく、日本語翻訳で一層困難に🤣なりますが。
他者との関係における諸問題解決のために自らのテーマ/対象の明確化が不可欠であること。②ヘーゲルがその著作で触れている自由に基づくエゴイズムの主たる諸形態/支配と奴隷、心情の法則、だましの言い訳、不幸な意識、徳の騎士/など人類史を振り返る中、(といってもヨーロッパ中心史観)既存の政治、業界、教会などの集団共同体に今日の時代、社会組織、集団に同じく見出す諸問題だろう。現代の「時代精神」から発展的止揚への希望の芽を探求し、育てていく事が必要であるのは過去も今もそして未来も同じ。
③西研は終章で語る「もう半分」の課題領域が道半ばでヘーゲル自身中途で終わらせてしまったと結論付ける。しかし著者西は超越者を介しての安心立命への願望を語る。社会領域と交差しつつもう一つの極である実存の課題を書き残す。④方や山田有希子のヘーゲル論では西が明示したヘーゲルが充分展開することなかったとする実存領域を重要課題として位置づける。*ハイデッガーのヘーゲル輪(パルーシア輪/絶対者の臨在としてのヘーゲル哲学)に後押しされ人間存在にとっての形而上領域(存在論)を探究する。西研とは真っ向から対立するのは何故か?著者其々の実存領域の関心の度合いによるだろう。西は問題の所在を提示して最終章として締めくくり、山田は課題の深堀りを精神現象学から大論理学、エンティクロペディで探求を開始する。この続きは椎名麟三の作品、特に最後の「懲役人の告発」と前作「美しい女」との異同を通して考えたい。バルト「の福音主義神学入門」や
「ロマ書」を合わせ読んで探求していきたいと思っています。


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