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少年と老人

森鴎外の「妄想」を読む。10歳の少年がキリスト教関係のある記事にこんな思いを綴る「はじめまして。ぼくは小学3年生の男の子です。ぼくには疑問に思うことがあります。考えてもわからないので教えてください。一つ目は人間は生まれる前にはどこにいたのか。2つ目、人間は死んだらどこへ行くのか。3つ目、やりたいことをやっても、どうして死んでしまうのか。考えると暗い気持ちになります。よろしくお願いします」。そして明治の医者であり文学者でもあった森鴎外は明治43年50歳の時「妄想」で老人(自ら)の迷いを語る。またトルストイは「イワンイリッチの死」で不治の病に侵され初老の死の間際の苦悶と改悛(回心)を描いた。そして私も老人となり死期を見据え同じ問いに佇む。「あなたは何処にいるのか」と。もうあとはない。グリム童話の「死神の使い」のように背後から肩を叩かれ、耳元で囁かれる。「お待たせ。もう時間だ。この世との分かれる時がきたよ」と。イワンイリッチが最期に見た「光り」と同時に彼を最後まで寄り添った下男と彼の息子の存在を手がかりに「何処にいるのか」を探究していきたい。

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