葉っぱのフレディ
長田弘の詩
アメイジング・ツリー
おおきな樹があった。樹は、
雨の子どもだ。父は日光だった。
樹は、葉をつけ、花をつけ、実をつけた。
樹上には空が、樹下には静かな影があった。
樹は、話すことができた。話せるのは
沈黙のことばだ。そのことばは、
太い幹と、春秋でできていて、
無数の小枝と、星霜でできていた。
樹はどこへもゆかない。どんな時代も
そこにいる。そこに樹があれば、そこに
水があり、笑い声と、あたたかな間がある。
突風が走ってきて、去っていった。
綿雲がちかづいてきて、去っていった。
夕日が樹に、矢のように突き刺さった。
鳥たちがかえってくると、夜が深くなった。
そして朝、一日が水達のようにはじまるのだ。
象と水牛がやってきて、去っていった。
悲しい人たちがやってきて、去っていった。
この世で、人はほんの短い時間を、
土の上で過ごすだけにすぎない。
仕事して、愛して、眠って、
ひょいと、ある日、姿を消すのだ、
人は、おおきな樹のなかに。
葉っぱのフレディという絵本を最近目にした。近所の街路樹が絵本と同じ見事な楓。木枯らしに震え虚空に舞っていた。一日一日色づきを変幻自在に変え、すべては茶褐色から灰黒に散っていた。
年を跨ぎ、長田弘の詩にであった。初春の候、公園には
まさに、「世界はうつくしいと」の花々が厳冬の枯れ木から産声をあげているようでした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?