見出し画像

献血について考える

お互い様という考え方

献血は、日本赤十字社が行う「病気の治療や手術などで輸血を必要としている患者さんの尊いいのちを救うために、健康な人が自らの血液を無償で提供するボランティア」のことである。

僕は献血によく行く。
初めて献血をしたのは16歳の誕生日だったと記憶している。
元看護婦の母親に連れられて。
3歳上の兄も16歳の誕生日に献血していたのを見ていたからか、抵抗感は一切なかった。

一時期献血から離れていた時期もあったが、約14年間で21回の献血をしたことになる。
以前は「誰かのためになるなら~」くらいの軽い気持ちで行っていた献血だが、最近は「お互い様だな」ということをよく考える。

そう考えるようになったきっかけは、長女の誕生だと思う。
決して当たり前ではない生命の誕生は、まさしくお母さんが命がけで成し遂げる。もしかしたら出産中に、大量の血液が必要になるかもしれない。
そんなことを考えたら「献血」という行為自体が、とても尊く、ありがたいものだと感じた。

自分の大切な人、もしかしたら自分自身も、人の血液に助けられる日が来るかもしれない。
まさしく「お互い様」の精神である。

出来るときに出来ることを

そんなことを考えると同時に「自分自身いつまで献血ができるかわからない」とも思うようになった。
以前「明日死ぬかもよ?」という本を読んだことがある。
死なないまでも、「明日献血ができなくなること」は決して珍しいことではない。

自分自身が健康でいること、献血ができる体であること。
そんなことは全く当たり前ではなく、いつ出来なくなるかわからない。

献血できないことは、悪いことでも何でもない。
しかし、「今」自分に出来ることを考えることは大切だと思う。
出来なくなってから気づいても遅い。
「出来るときに、出来ることを」

情けは人の為ならず

最後に僕の好きなことわざを一つ。
「情けは人の為ならず」
よく「人に情けをかけるのは、その人の成長を阻害している(為にならない)から、やめなさい」といった意味で誤訳されているらしいが、本来は「人に情けをかけると、巡り巡って自分に返ってくる。つまり情けは人の為ではなく、自分のためである」といった意味らしい。

僕はこの意味が人間っぽくて好きだ。
あまりに聖人君子なのも嘘っぽく聞こえるし、「自分のためです!」って力強く言えた方が、ためらわずに人助けができるような気がしている。

これからも、未来の自分や家族のために「献血」したいと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?