見出し画像

「誰かのため」はその人を信用していない

看護師という職業はやはり、病気である患者さんの療養上のお世話をする、ということから、その方に何かを「してあげる」という質を含んでいる。

地球で生きている限り、自分の周りには誰かがいて
その誰かのために何かをするという行為は当然有り得る。

そして、それをすることによりその人が喜んでくれるという期待がある。更にそこには、その人が変わってくれる(もちろん良い方向に)という期待もある。

「ありがとう、こんなに良くなった」
「こうなれたのはあなたのおかげです」

こんなふうに感謝されると、もちろん嬉しい。

でも、期待通りにならなかったら。。。

あの人のこんなところがダメだから、とか、もっとこうしたらいいのでは、などと考える。はたまた、自分の力が足りなかったのかと自己嫌悪に陥ったり、もっともっとと頑張って相手に施そうとする。

そして疲弊する。

そもそも「期待」をしている時点で他人のエネルギーをコントロールしようとしている。
相手をこんなふうに変えてやろう、というコントロール。

でも、その人は本当にそうなりたいのだろうか。

どうなりたいか
どのタイミングなのか

それはその人が決めてきたこと。
地球に来る前にそのタイミングや方法、そして今回はそれをするかしないかまで決めてきている。
せっかく決めてきたタイミングを見極められないまま宇宙に帰っても、また地球に来たら同じ課題をするのだし。

だから、本当はそれに任せるしかない。

あれこれしてあげるのは、ただの自己満足。
その人を信頼していないってこと。

自分の身をけずってまですることではない。

だいぶ手放したつもりだったけど、まだまだあるんだなぁ。
でも、そんな体験も地球でのプラクティス。
楽しめることに感謝して、はい、つぎつぎ(笑)!!




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?