京大講演(4)憧れと熱狂、ブームという自然災害

前回エントリーでは、野生の研究がある未来について画コンテでご紹介した。
ただ、「憧れ」「盛り上がり」で何かを広めていく事は、
ブームになってしまうというリスクをはらんでいる。

ブームに関する細かい定義はもう少し社会学を勉強しなければと思っているが、つまりこういう事が起きると考えられる。

【野生の研究"ブーム"が来たら】

・関係ない人が寄ってくる
研究には全く興味はないけれど、
研究ネタで何かやればお金になることを嗅ぎ付けた人々が
いろんなオイシイ話を持ちかけてくる。

・関係ない事でちやほやされる
イケメン研究者がananの表紙になる。
タイトルは「今、研究でキレイになる」
(美容とはまっったく関係ない研究者)
深夜のバラエティ番組やお昼のワイドショーでコメンテーターとして
声がかかる。おかげで電車で通勤するとちょっとした騒ぎになってしまう。
2月には研究室に大量のチョコが届いて焦る。

・いきなり脚光を浴びる
マイクパフォーマンスがものすごくうまい大学院生や、
地方大学の「美人すぎる研究者」が急に注目されて道の駅で
まんじゅうが売られる。
その後美人すぎる研究者はCDデビュー。
カウントダウンTVで初登場13位を記録(微妙)

・ある日突然ブームが終わる
「研究成果は一朝一夕では出ないんだね」というごく当たり前のことが
悪く取られ始める。なかなか進展が見られないなあと思っていると、
まさかの伝統工芸ブームが到来。
「笑いの取れる畳職人」がチヤホヤされ始める頃、
研究者まんじゅう店は閉店。
もうけ話を持ってきていたプロデューサー達は一気に手を引く。

だいたいこんな感じだ。
多少大げさだけれど、無い話ではないと思う。
なんだか諸行無常な話だけれど、
僕は必ずしも悪いことではないと思っている。

ブームの後にシーンが残るのだ。
流行すらしないようでは定着などしない。

ここで参考文献を引用する。

おそらく学術系の講演会では一度も取り上げられなかったであろう、
そして今後も取り上げられないであろう
大槻ケンヂ『リンダリンダラバーソール』という小説がある。

80年代半ば〜90年代にかけてのバンドブーム(第1期)の渦中に
あった人だ。当時を振り返り、あの熱狂がなんだったのかが語られている。
小説風に仕立てられているのですべてが事実ではないにせよ、
バンドブームがなんだったのかを知る良い資料だと思う。

とあるライブ会場で大槻ケンヂ(オーケン)が一人語る。
相手はぬいぐるみのボースカだ。

「オーケン、あのブームは何だったのかねぇ」
「ボースカ、あれは音楽業界の構図が変化する転換期に生じたひずみだったんだよ。我々は新旧二世代間のジョイント役であり、捨て石だったんだ。」
「ふーん、でもなんでオーケンたちの世代が選ばれたんだい?」
「・・それはきっとたまたまなんだよ。どんな文化や表現にも、時代によってそういう役どころは必要で、でも転換期は偶発的に発生する自然災害みたいな ものだから、たまたまその時代に居合わせた表現者たちがランダムにキャスティングされてしまうんだ」
大槻ケンヂ『リンダリンダラバーソール』(新潮文庫 2002年)

もしも今が研究文化やアカデミアの過渡期にあたるのであれば、
(そしてなんとなく僕はそんな気がしている)
自然災害的にブームが到来してしまうかもしれない。
事実、僕が見かけるTV系映像メディアの界隈では
常に「ネタ探し」が行われている。

ではブームが到来した時にどうすればよいのか。

・熱狂を受け入れる覚悟を持つ
つまり「ブレない」ということだ。
たとえananの表紙になっても、情報番組のコメンテーターをやっても、
野生の研究者=生き方として研究を選んだ、のであれば
研究を続けていけばいい。
チヤホヤされればされるほど、より研究に力を入れないと
「ああ、あの人タレントになったのね」とやっかみ混じりの攻撃を受ける。
(このあたりは僕はかなり細かく話ができるがそれはガレージで。)

・熱から守る「場」を確保する
熱狂が訪れた時に一人ではまず対処できない。
タレントに事務所があるように、自分を守る場所が必要になる。
まず対外的なマネジメントは、研究機関に属しているのであれば広報が
担うべきだ。野生の場合は研究会などが互助的に機能するといいと思う。
さらに、研究の内容自体が熱狂によってブレてしまわないように
気をつける必要がある。

前述の「メディアの目的」に研究内容を寄せてしまう危険が
無いとも限らないからだ。アカデミアの世界では
「査読」「論文」などがその機能も果たしていると思うが、
野生の研究の場合はどうすればよいか。目下模索中だ。

以上が京都大学での講演でした。
ご清聴、ありがとうございました!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?