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2021.12.31-2022.01.01@東京

お久しぶりです。どいです。

書きたいことは日々たくさんある気がするのに、
書けない日々があまりにも長期になってしまい、
noteをずっと放置してしまっていた。

ここまで書かなかったのに、
年末になると謎に「書かなきゃ」な気持ちが現れてくる。

たしかに個人的に相当色々あった1年だったし、
自分のための備忘録だったり、近況報告だったり
意味ありげなものを残しておこうか…みたいな感じだったが
年末になると、みんなこぞって「2021年の振り返り」とかやっちゃうから
ひねくれ者のわたしはすっかり白けてしまい(めんどくさw)

なんか普通に、今思うことを書くことにした。
かなり雑多なので、お休みの間に時間の許すかぎり
いくつかに分けて書こうかなと。

※だらだら書いていたら途中で2022年を迎えました。笑

振り向きもせず、前だけ見て走り抜けてきた1年だったので
そんな日々の締めくくりと、あたらしい日々へのスタートラインとして
この記事も前だけ見ていこうと思います。

読もうとしてくれているそこのあなた!
大好きです。
今年もよろしくお願いしますね。

@東京


タイトルのとおり、わたしは今、東京にいる。

移住という、人生で最大の生活環境の変化を自ら選択した2021年。
「場所」というものの捉え方が、これまでと大きく変わった。

今、生活の拠点を置いている愛媛県西予市野村町

生まれ育った故郷である奈良県大和郡山市

自分にとって、それぞれの場所の意味は何なのか。

この記事では、
今、わたしがそれぞれの場所に対し思うことや
その場所におけるわたしの立ち位置・存在意義・やりたいことなど
をまとめていく。

▼移住当初の記録

なお、この年末年始を東京で過ごすと決めたのは
これらの場所から一旦、自分を切り離して
フラットな状態で自分自身を見つめ直したかったから。

その場所に留まるのみではぼんやりとしか見えないことも
物理的に離れてみることで、
不思議と解像度が上がってくるもの。
(移住した実感として)

会いたい人がたくさんいるから、というのもあるけれど
ありがたくも完全に「個」であることがゆるされる大都会、東京。
内省するにはもってこいだと思いまして。

前置きが長くなりました。
ここから本題。

@野村

染まりきらなくて良い

たくさんの人にあたたかく迎え入れられ、よそ者だったわたしは今、とても幸せに楽しく暮らしている。

野村は地元の方・移住者に関わらず、
まちに誇りを持ち、大切に思う人が多いと感じる。

癖が強い、ちょっと変わっているな、ということも
みんなで面白がれるのが大好き。

わたしが日常関わる人たちはみんな、
前向きなエネルギーであふれている。

人に対する関わり方の「当たり前」がここまでアップデートされてしまったので
もう他の地域では暮らせないんじゃないか?とも思う。笑

…こんな感じではあるが、
そんなにどっぷりと野村に浸かりきっているのかというと、実はそうじゃない。

まちとしての一体感や、一致団結する感じはありながら
個人が尊重され、自由であれる。

このまちの一番のポテンシャルはそこなんじゃないか。

まちづくりや教育に関わる仕事をしていて思うのは
なにかを始めようとするとき、出発点は個人の想いにあるということ。

ここに染まりきらなくて良いからこそ
一人ひとりが自分の考えや想いを持つことができる。
それを自由に発信できて、乗っかってくれる人がいる。

個人の想いを良い意味でオオゴトにすることができ、いつしか、まち全体の想いになる。

わたし自身も含め、きっと多くの人にとってここは自己実現のフィールドであり
「まちのために」というのは結果論なのだと思う。

想いの種を蒔く

地域おこし協力隊として、公営塾や高校魅力化の事業をミッションとするなか
着任以来、高校生とともに、復興まちづくりに携わってきた。

こういった取り組みは、個人の想いがまちの想いになる理想的な場だと思える一方で
高校生との活動や対話を通して、みんながみんな、はじめから明確な想いを持てるわけではないということを実感した。

高校生が主体となり被災地に菜園をつくるプロジェクトで、8月に花を咲かせたヒマワリ畑。

土壌があって、種を蒔き、水をやり、手入れをし、光が差すことで花が咲く。

あわてずにじっくりと、向き合っていく必要がある。

わたしも今まさに、このまちでひりひりとした成長痛を感ずる立場だからこそ。
野村のことをもっと知りたいし、知ってほしいし、一緒におもしろがったり感極まったりしたい。

そういった仲間として、彼ら彼女らとともに生きていこう。

何かしら関わろうと思えることへのアクセシビリティをつくること。
そして、次のステップとして「自分が関わりたいのは、なぜ?」というのを深掘りできるようにすること。

しばらくはそこに注力する。
そうして蒔いた種から、一人ひとりのやりたいことが見つかって、実現できたら最高だと思う。

ワクワクしかしない!

@郡山

30歳で移住するまで、ずっと住み続けた地元・大和郡山。

高校~社会人1年目はデイタイムの拠点が大阪だったことと、
ラスト5年は市民でありながら市の職員だったことで、
地元に対する気持ちを見事なまでに拗らせてしまった。

住み慣れたまち、本当は好きでありたいのに、そうはなれない。
まちづくり関連で誰かがやることなすこと、ナナメからしか見られない。

わたしが移住を決めた大きな理由のひとつがそこにあった。
冒頭にも書いたとおり、距離を置くことで、この感じを変えていきたいと思ったから。

そんな目論見は結果、大成功に至る。

10月に帰省し、リノベーションスクールに参加したことで多くの仲間と出会った。
生まれて初めて「地元が好きだ」という意識をもつことができた。

ここで出会ったユニットメンバーとともに、実際にこれから地元商店街の空き家をリノベーションし、事業化していく。
リモートにはなるけれど、できる限りのことはしたいし、きっとやれる。

関わりしろをつくることはできたが、これでもやっと、入り口に立てたといったところ。
実際は自分がここで何をしたいのか、なぜしたいのか。
それこそ「想い」は未知数な部分が多い。
(現時点では野村のことの方が多くを語れてしまう)

そして、どうしても野村との比較になってしまうけれど
人口規模もあいまってか、郡山では、まちのことに対して無関心な層がやっぱり多いなという肌感覚がある。

自分自身の想いの解像度を上げるためにも
内から見たり、外から見たり

これからどんどん試行錯誤をしながら
感じたことを一つひとつ昇華させて、発信していきたい。

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2022年、あけましておめでとうございます。



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