プロレスの練習生だった話23

移籍した団体を辞めた。
本来だったら直接伝えるべきことを電話で済ませてしまった。
筋を通すことなく不義理を働いてしまった。

オーディションを受ける事はプロレス入りの際アドバイスをくれた先輩に伝えた。
頑張ってねと言っていた。

そして書類選考があるとのことで履歴書を書いた。
写真を二枚、全体と上半身の写真を撮る必要があった。

東京に頼める人がいなかったのでタイマー機能を使ってどうにかとった。

数日してから書類選考に通ったのでオーディションに来て欲しいと書かれた手紙が届いた。

その日までひたすらランニングをしたり筋トレをした。

2月26日の新宿でオーディションは行われた。
先に女子の練習生オーディションがあったようだった。
男子は3人でうけるようだった。

控室は重くナーバスな雰囲気だった。
何歳なのか何をしてるのかなど二言程度話した。

当たり前だが皆ガタイが良かった。

男子の番になり下に呼ばれた。
所属選手がほぼ揃い目の前に社長、副社長とオーナーのような人がいた。

名前を名乗りメニューを告げられる
スクワット1000回
腹筋背筋腕立て500回をやってください。と告げられた。
新日本と同じメニューのようだった。

腹筋の時補助についてくれたレスラーの方は頑張れと凄く応援してくれた。

しかしダメダメだった。
スクワット700を超えたあたりから腰と膝の感覚を無くした。
自分の鍛錬不足だった。
面接でもなぜ前の団体を辞めたのか、女子が多いが女子は男子よりきついことをいう。
履歴書の誤字があるが気がつかなかったのか。
などなどつっこまれた。
オーナーからはなぜ最初からうちの団体受けなかったのか?と聞かれた。
募集してなかったから。と答えようとした時
社長と副社長が先にそれを告げた。
オーナーというポジションは不思議だ。

結果はこの後伝えますと言われたので控え室に戻り着替えた。
呼ばれたのでまた戻った。
結論不合格です。もう少しメンタルと体力をつけてまた受けてください。と告げられた。

体の痛みも限界だったのでありがとうございました。とだけ告げた。
身体が裂ける痛みを感じながら少しずつ駅に向かった。
電車に乗り
だんだんと麻痺していた頭が正常になってきた。
もうプロレスができない
重く重くのしかかりそのまま麻痺していればどれだけマシだったかと思うほど絶望を感じた。
文字通り希望が死に絶えた感覚だった
頭の中が真っ暗闇だった。
どうやって帰ったのかわからないが電車の中で涙が落ちてきて周りにバレないようにするのに必死だったのは覚えている。

家に着きベットで放心状態だった。
しばらくして母に電話をした
泣いている声を悟ったような感じだった。
東京にいる理由を無くしたので引っ越しのことも話した後電話を終えた。

その後声を上げて泣いた。
20歳の人間にとってそれは初めて向き合う挫折と自分の甘さが許せなかった自分に向けた怒りだった。

地元の友人に電話をしてまた泣いた。
なぜその時地元の友人だったのかわからないが自分一人では対処できないほどの感情を誰かに吐露したかった。

引っ越しは母が手伝いに来てくれた。
不動産屋のオーナーは夢を追うことに寛容だったので応援してくれていたが辞めるの?と驚いたような顔をしていた。

当時はセキュリティーの派遣に登録をしていたので制服なども返す必要があったので事務所のある押上まで向かった。
ここのセキュリティー会社のスタッフさんたちは夢を持つ事は素晴らしいと常々言ってくれていた。
プロレスを辞めることにしましたので地元に戻ります。
今までお世話になりました。と伝えた。
まだ若いからこれから先また夢は見つかるよ。
そんな言葉を貰った。

東京から引き上げるとき3月の頭だった。
それでも雪が降っていた。
なごり雪のように東京で雪を見る事はもうないな。と
思った。
そんな事はどうでもいいと思うくらい心の中は空っぽになっていった。
戻ることもできず、未来の目標もなくなり
バラバラになりそうだった。

そして静岡にまた帰ってきた。


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