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昔々プロレスの練習生をしていた時の話

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昔々プロレスの練習生をしていた時の話

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GO HOME NO HOME/川村かおり

川村かおりというシンガーを知ったのは2009年に彼女が亡くなら少し前。 ZOOの愛をくださいというフレーズや翼をくださいをロック調にアレンジした曲とボーイッシュな見た目に衝撃を受けた。 高校生になって買ったウォークマンには川村かおりの曲を何曲も入れていた。 中古のCDを探し集めていた。 同世代で川村かおりというシンガーを知っている人間に出会ったことがない。 それでも青臭い歌詞の多かった初期の川村かおり、 休止を得てからの新しいサウンドを身につけた川村かおり、sorrow→川村

    • 亜利弥'さんの命日

      今日8/27は元女子プロレスラーの亜利弥'さんの命日 19-20歳東京のプロレス団体に練習生として所属し、 稽古に来ていた女子の先輩が連れてきたのが始まり。 また吉本女子プロレスJD、大日本プロレス、LLPW、JD と渡り歩き、キックボクシングなどの格闘技も経験してきた大先輩 KAORU選手に憧れているということを知るとKAORUさんかっこいいですよねと微笑んでくれたり、関節の稽古をつけてくれたり、ケーキを買ってきてみんなで食べたり厳しさ9割の世界で一際優しく思えた人だっ

      • プロレスの練習生だった話 あとがき

        全31篇お読みいただきありがとうございます。 19歳から始まったプロレスの練習生として生き、辞めた後、現在までの10年間で感じたことをできる限り正直に綴らせていただきました。 自分自身、持病の悪化に伴い、体調が良くなく、時間を持て余していたこと、常に自分の中で暗い影を落としていた挫折の経験の浄化を目的に書き上げてきました。 プロレスを挫折したことは自分の未熟さと弱さであり 自分の経験した体験というのはあくまでも一個人の経験になります。 なので、プロレスラーとしてデビュー

        • プロレスの練習生だった話31

          ナースからは 『できたらいいですね。』と返事が来た。 そして痛み止めをもらい飲んだ。 夜は痛くて眠れなかった。 朝になり担任が来た。 学校での事故なので着替えなどを頼んでいた。 正直事故の原因だと思っていたので顔も見たくはないといった感じにあしらった。 そしてわざわざ母親が大阪まで来てくれた。 母親の顔を見ると安心した。 年末に帰らずにいたので夏以来の再会だった。 母親には大阪でプロレスを再開していたことを伝えられなかった。 いえば反対するであろうから。 母親には大

        GO HOME NO HOME/川村かおり

          プロレスの練習生だった話30

          入団した当初は初夏だったがあっという間に秋が過ぎ冬になった。 そろそろデビューしてもいい頃という期間を過ごした。 それでも月に何回かの興行で練習が不足していた。 興行前、リングの練習では足にヒビが入った状態でもロープワークをこなした。 学校で不意に足をくじき、クリームパンほどの大きさに足が腫れていた。 それでも歩行に問題もなく少し痛む程度の痛みだったので休むことなく貴重な練習を無駄にはできなかった。 自分の憧れていた対抗戦時代の諸先輩は少しの骨折でも試合をしていたと本でも読

          プロレスの練習生だった話30

          プロレスの練習生だった話29

          興行が終わりしばらく練習や興行という日々を送った。 課題のある有料興行ではあった。 しかしながら女子の練習生からあることを言われた。 紙テープの捌きがめちゃうまいってみんな褒めてたよ。 直接褒めてもらえなかったのだがさんざん千葉で教わっていたことを活かすことができた。 紙テープ捌き一つとっても使える人間かどうか判断されると昔千葉でさにいたからレフリーの方が言っていたのを思い出した。 アパレルのバイトは性に合っていたのか楽しく働くことができたしコーディネートして欲しいと言って

          プロレスの練習生だった話29

          プロレスの練習生だった話28

          責任者の方から興行の前に最近試合ばかりで練習できてないし練習生も練習したいやろ。と語られた。 ごもっともだった。早くデビューしたいと言う気持ちとは裏腹に練習できる時間が圧倒的になかった。 なんでもこの一年は興行に力を入れていた為試合が何ヶ月も埋まっていら状態だった。 ジムで体づくりをして幾分か筋力も戻り一般的には筋肉があるように見えるくらいにはなった。 それでもプロレスは受け身から始まり独特の動きがある。それを身体に染み込ませるには練習しか方法はない。 イメージトレーニングだ

          プロレスの練習生だった話28

          プロレスの練習生だった話27

          1ヶ月、2ヶ月と団体にいる時間は経っていった。 専門学校に通いながらジムに行き、また生活費を稼ぐためバイトをこなす。三足の草鞋を履いていた。 飲食で昼間に働き夜は居酒屋でバイトをしていた。 体づくりのために賄いがある方が何かと助かるからだった。 そんな中、試合会場に向かうため、団体の責任者の方と代表の方と3人でトラックに乗ら機会があった。 代表の人柄はエネルギーに満ちており太陽のように光り輝くような人だった。ミュージシャンとの交流やCMにも出演していたりと人柄や行動力などによ

          プロレスの練習生だった話27

          プロレスの練習生だった話26

          大阪の団体は学生プロレスのOGが中心に旗揚げされたという。 そこに関西インディーの選手が合流して今の形に至るらしい。 練習生の中には19歳の男の子や年齢不明の女性、大学在学中の練習生もいた。 選手は40を超えた選手から20前後の選手と大所帯だった。 屋外での興行、初日ということもありセカンドにはつかず、他の催しの妨げにならないように通行人を整備する役割を担った。 途中場外乱闘が来た際はごく自然にお客さんを捌けた。 そして興行は無事に終わり、久しぶりにリングの撤収を行なった。

          プロレスの練習生だった話26

          プロレスの練習生だった話25

          静岡でのお世話になったジムでの勤務も残すところ僅かとなった。 最終勤務ではスタッフの方やお客さんに挨拶をして回った。 特によく話してくれたお客さんには心理学を学びに行くと伝えたところ娘が不登校で自分も辛かった。そんな時にここでお話ししてくれてすごく助かったと涙涙ながらに話してくれた。 また夫婦で来ていた婦人からは女は愛嬌というけど男の子も笑顔を絶やすことなくしていれば周りが助けてくれるよ。と教えられた。 今でも胸に刻む金言を貰えた。 スタッフの方達とは頑張れよ。と言ってもらえ

          プロレスの練習生だった話25

          プロレスの練習生だった話24

          静岡に戻ってきた。 帰る前夜にプロレス入りをサポートしてくれた元レスラーの方に連絡をした。 オーディションを受けました。残念ですが落ちてしまいました。と伝えた。 彼女からは労いと励ましとレスラーになって見返そう! と応援の言葉が添えられていた。 当時の自分にはそれに応えるにはあまりに打ちひしがれていた。 もうプロレスは諦めようと思います。と返信した。 それ以降その方からの返信は途絶えた。 殊更に自分の価値も無くしてしまったような、自分には何も無くなってしまったなという思いが

          プロレスの練習生だった話24

          プロレスの練習生だった話23

          移籍した団体を辞めた。 本来だったら直接伝えるべきことを電話で済ませてしまった。 筋を通すことなく不義理を働いてしまった。 オーディションを受ける事はプロレス入りの際アドバイスをくれた先輩に伝えた。 頑張ってねと言っていた。 そして書類選考があるとのことで履歴書を書いた。 写真を二枚、全体と上半身の写真を撮る必要があった。 東京に頼める人がいなかったのでタイマー機能を使ってどうにかとった。 数日してから書類選考に通ったのでオーディションに来て欲しいと書かれた手紙が届い

          プロレスの練習生だった話23

          プロレスの練習生だった話22

          12月のある日 母方の祖父が倒れたと連絡が来た。 その日はリング練習に参加する日だったけど 急いで地元行きの電車に飛び乗った。 脳出血だった。 わかっていたことだったが 地元を離れていると身近な人の死に目に遭うことができない。 それでも到着した時はまだかろうじて心臓は動いているようだった。 しかし意識は戻ることはなかった。 あまりにも突然のことだったので 理解することができないまま葬儀を終えた。 数日実家に戻りまた東京に戻った。 この頃から体調に異変があらわれるよう

          プロレスの練習生だった話22

          プロレスの練習生だった話21

          東京の団体では体重65キロ増加とベンチプレス60キロをクリアしなければ練習生になれなかった。 ベンチプレスはもう少しというところだったが体重はなんとも増えなかった。 前の団体では62キロまで増えたが今度は一人暮らしだったので食費もカツカツだった。 それでも他団体の選手をファイヤーマンズキャリーの体勢で担ぎスクワットをするくらいはできた。 バイトをという選択肢は当初、 プロレス入りを相談した元女子レスラーとしてフリーの成功者として名を馳せたあるレスラーの方から言われた言葉が頭

          プロレスの練習生だった話21

          プロレスの練習生だった話20

          東京の団体では新宿スポーツセンターでの練習とは別に スタジオでのミット打ちの練習をしていた。 そこにはプロレスサークルというプロレスの受け身などを一般の方に教える場も兼ねていた。 プロレスが好きな主婦の方や昔レスラーになりたかった人、なんとなく運動不足を解消したい人などがいた。 一般の方と混ざるので基礎体力の運動やミット打ちは大変ではない。 ただ自分は体重がないので打撃が軽かった。 あとはマットを敷いて受け身の練習。 代表の知り合いのジムでは重量トレーニングにも励んだ

          プロレスの練習生だった話20

          プロレスの練習生だった話19

          数ヶ月ぶりに実家に帰った。 駅には母が迎えにきた。 団体を辞めたことを改めて伝え、東京に行きたいと伝えた。 父親は仕事を辞めプロレス団体に行ったことに反対しており会話もほとんどしなかった。 むしろお互い避けており目を合わさず同じ空間に極力いなかった。 道場に忘れ物があり一度同期に連絡をし、送ってもらった。 迷惑そうだった。 それきり同期Yとは連絡をしていないが 無事にデビューし現在も現役を続けている。 それからは引っ越しや部屋探しなど諸々の計画を立てた。 次の団体は寮は

          プロレスの練習生だった話19