終わりという始まりの前

 ギャラリー顔というユニークなギャラリーが札幌にある。
 令和元年10月31日をして、ギャラリー顔は閉じてしまうので、それ以降は「あった」になる。
 小さなアパートの一室で、時に誰かの部屋のようであったり、時にギャラリー然とした顔を見せたり、その展示一つ一つが違う顔を持つのでそのたびに違う部屋になる。
 オーナーのおがたかおさんもいろんな顔を持っている。たぶん私の知らない顔や、感情、表情もたくさんあるだろう。私が知っているおがさんはわりと穏やかで、時に饒舌にいろんな話をしてくれる。私のしょうもない悩みも同調するでなく同情するでなく、黙って聞いてくれもした。おかげで随分私は楽になったが、私の感情を預けてしまっただけではないか、と心配したこともあった。
 ギャラリー顔の企画展のいくつかに参加させてもらったこともある。
 他ではないアイデアがあって面白かった。一番印象に残っているのはどれだろうと思って考えたけど、架空のゲームを発表する展示はなかなか刺激的だった。私は一生懸命トリ説を作り、嬉々として預けに行き、そのまま展示最中は関東にライブをみに行ってしまったのだった。とんでもない出展者だったなあ。
 
 3年続けることが出来るのって、凄いことだ。
 3年続けたら次は5年、5年続けたら10年、と延びていくのが理想だが、人は3年もなかなか同じことは続けられない。ましてギャラリーの運営だ。あなたに出来るか、私は出来る気がしない。今の仕事をやめたり、今の仕事を調整してギャラリー運営をするとなると、たぶん私はもう自分の作品発表をしなくなると思う。そういう時間や余裕がなくなると思う。描き続けていることはできるが、発表するものという意識をもてるかどうかはわからない。
 この際乱暴な言い方をすれば、おがさん自身の人間性とかそういうことを抜きにしても、ギャラリーを3年運営してきたというのは賞賛に値すると思う。
 私は拍手を持ってそれを讃えたいと思う。
 
 おそらくいろんな人が通り過ぎたろう。常連になってくれる人もいたろう。中には大切な友人となった人もいるかもしれない。このギャラリー顔という場所ではいろんなドラマがあったろう。
 私自身が深く関わったとしたら、2018年のnecco×ギャラリー顔スタンプラリーの特典、シークレットイベントだろうか。こちらのスタンプラリーに私が主催する字展も関わり、シークレットイベントにも出ました。何をやったかはもちろん秘密のままにしておこうかと思う。
 いろいろあったけれど、あれも良く考えたら意図したものになったんだなあと思い、おがさんの不思議なところに巻き込まれて良かったなって思ったんですよね。出来なかった体験が出来た。そうして面白かった。
 
 私は深いところで密接につながってはいないとは思うのですが、私はギャラリー顔という場所がけっこう好きだったのでは、と思っている。
 節目節目に足を運んでいたし、穏やかな気持ちになることが多かったし、辛かった時、あそこに行っても誰も何も変わらず接してくれることが私にとって凄くありがたいことだったので(誰も何も知らなかったのかも知れませんが)、ああ、また一つ寄る場所が減ってしまうんだな、という寂しさを抱えてこの記事をかいているわけだ。

 ギャラリー顔で最後のイベントが26,27日の二日間開催された。
 紅月鴉海さんの舞踏と、MC近代美術館さんのライブ。私は26日しかいけなかったので、おがさんが読み上げるギャラリー顔の歴史と紅月鴉海さんの舞踏を拝見しました。
 なんだろう、終わってしまうという寂しさはあるのだけど、きっとまたどこかで何かやるのではないかな、という期待も同時に沸いてきたのだった。
 またいつか、と思いながら寂しく扉を閉めるのかなとおもったのだが、またね、という気持ちで扉を閉めて、あの一室に訪れることはもうないというのに、またこよう、とどこかで思っている私がいる。
 
 たくさんの時間をありがとうございました、おがさん、またね。

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