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【小説】駆けて!ホンマチ⑫

 見知らぬ地、見知らぬ時代で、私は大小様々なクエスチョンマークに脳内を占有されている。

 蟹江町の本町商店街から少し外れた蟹江川は、流れが止まっているかのような穏やかな川面のままだ。その様子を真上から見下ろす恰好で、昇平橋の欄干に肘をついている。

 私に声をかけてきた青年の奇妙な話は、とてもではないが簡単に受け入れられるような内容ではない。だけど、私の心は何故か大きく揺さぶられているのも事実だ。言葉に表すことは難しいが、何か運命めいたものを感じずにはいられない。

 私の横にいるトシという青年は、1970年に、56年後の2026年へとタイムスリップをした。そこで私と和歌子さんに会い、自殺を思いとどまったという。

 私は2021年から50年前の1971年に来てしまい、今こうしてこのトシという青年と一緒にいる。

 私からすればこれが初対面になるが、このオールバックの青年から見れば、私とは二度目の対面になる。

 私が二度目に会うのは五年後の2026年。


 時系列ではそういう形になるのだろうか。もしもこの青年が自殺を果たし、1970年にこの世からいなくなっていたら、私とこうして会うことも不可能ということだ。

 2026年に亡き恋人の妹、和歌子さんから届けられたメッセージによって心変わりをしなければ、今起こっていることは実現しない。


 考えると怖くなるし、パニクっている頭を掻き毟りたくなるような気持ちだ。

 ところが、決して強くはないメンタルが壊滅的な窮地に立たされているというのに、私の強靭な胃袋はこの非常事態にも全く動じることはなかった。

「ぐう」と鳴ったお腹の音は、およそ半径3メートルに響き渡るほど、その空腹さを見事なまでに主張した。

 顔から火が出るような心境というのは、こういうことを言うのだろう。

「腹減ってるのか。ようし、何が食いたい?」

 青年は笑いながらフィルターの根元まで灰になった煙草を蟹江川に投げ捨てた。

「いえ、大丈夫です・・」

 私は恥ずかしくて下を向いたまま、顔を上げることができない。

「遠慮するな。というか、俺は前回あんたたちに大層な料理をご馳走になった。今日はそのお返しだ」

 悪い人ではないと思いたいが、私は目の前の青年を100パーセント信頼しているわけではない。初対面なので当然だ。よく知りもしない男性と一緒に食事をするなど、軽率な行動以外の何物でもない。

 私が俯いて動こうとしないでいると、いきなりその青年は私の手首を掴んだ。そして引っ張るようにして歩き出した。

「ここで俺以外に頼る人間なんていないだろ。困ったときはお互い様さ。サンドイッチでいいだろ。汚い店だけど我慢してくれ」

 強引さに呆れた私は反射的に手を振りほどいていた。警戒心を解いたわけではないが、私は結局その青年に付いていく決断をした。

 強く握られた手首には、その感触が残っている。気のせいか、体の火照りを感じる。


 再び活気のある賑わいを見せる本町商店街へと戻る。お昼時だからなのか、さっきよりも若干人通りが少なく感じる。

「真汐さんは今いくつなんだ?」

 前を歩く青年が後ろを振り向くこともなく訊ねてきた。

「16歳。高2です」

「なんだ、俺とひとつしか違わないのか。てっきり中学生かと思った」

 私は決して大人っぽくはないが、中学生に見られるほど幼くはないと自負している。からかわれているようで癪に障るが、それよりも聞き捨てならないのは私とひとつ違いということだ。思わず聞き返した。

「えっ、高校生なの?」

「ああ、もう一度言う。百合子が死んだのは一昨年の1969年。俺も百合子も高1だった。翌年の1970年の一周忌の日、高2の俺は自殺しようとしたが、真汐さんと和歌子さんのお陰で思いとどまった。そして今年、晴れて高3になり今に至っている」


 随分と波乱万丈な高校生活を送っているものだと、改めてその後ろ姿を眺めてみる。

 整髪料で撫で付けられたオールバックの髪型。ボタンを嵌めていないよれよれの白いシャツ。踵を擦りながら歩く草履。

 同年代の風貌とは思えない。煙草を吸い、バイクを乗り回す高校生など有り得ない。少なくとも、私の周りには存在しない。

 言葉遣いも乱暴なところがあるし、強引な面もある。歩き方もやけにがに股で親父臭い。

 これでもこの時代では一般的なごく普通の高校生の姿なのだろうか。

 だとしたら、この時代に生まれてこなかった幸運に感謝したい。クラスメイトがこんな男子たちばかりだと想像すると、息苦しくて仕方がないだろう。


「着いたぞ。入れ」

 青と白と赤のトリコロールカラーに彩られた店先のテントに『ソルティ』と店名が示されている。白く塗られた木製の扉は開きっ放しになっており、青年は先に入っていった。

 レディーファーストという概念がこの人には備わっていないのだろうと嘆きながら、私も後に続いた。

 店内の席は8割がた埋まっており、奥の窓際の椅子に腰掛けた青年を追うように、私も二人掛けのテーブルについた。


 エアコンなど設置されていないため、すべての窓が開け放たれている。煙草のヤニで変色している壁では扇風機が唸りながら首を振り、天井から吊るされた何本かの茶色い帯状のリボンがその風に揺らめいている。

 表面に豆粒のような黒いものが施されたそのリボンは、私の座るテーブルの真上にもあった。扇風機の首振りに合わせて振り子のような運動を繰り返すそのリボンを眺めてぞっとした。

 黒いものは豆粒ではなくて蝿の死骸だった。飛び回る蝿などの虫は、べとべとに粘着物が塗布されたリボンの表面に捕えられたが最後、再び羽ばたくことはないのだろう。粘着物に蝿の好む臭いが仕込まれているのかもしれない。

 飲食店に蝿が飛び回ることは衛生上好ましくないが、その対策としてこんなに原始的で野蛮な装置が用いられていることに言葉がでない。視覚から与えられるマイナスの印象は、味覚に悪影響を与えるはずだ。無数の蝿の死骸に見つめられながらでは、せっかくの美味しい料理も台無しになるのではないか。


「あらトシ坊、珍しいね。今日は彼女と一緒かい?」

 エッフェル塔のシルエットが描かれたエプロン姿の背の低いおばさんが、にやにやといやらしい目をしながらお盆のお冷を二つテーブルの上に置いた。

「そんなんじゃない。この人は俺の命の・・。いや、なんでもない。たまごサンドと野菜サンド、ミックスジュースに冷コー。それからハイライト」

 トシという青年は冷やかされたせいか、少し動揺した様子で早口にオーダーを済ませた。


 見た目は大人っぽくても、心の中は普通の少年なのかもしれない。子どもっぽさを隠すために外見を意識して、精一杯背伸びをしているのかもしれない。

 そう考えると、私の目の前で喉を鳴らしながらコップの水をガブ飲みしている姿が、少し可愛らしく見えてくる。

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