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『混ざり合う想いと歴史』

皆さん、こんにちわ。

臥龍桜です。

前回は

アミシャーブやポリオーマウィルスの存在などをお話しして終わりましたね。

タイトルの様に

『混ざり合う想いと歴史』的な内容になります。

では本題に入ります。


必要な事なので

また話は

竹内巨麿さんのもう少し踏み込んだお話しから
初めさせてください。

竹内巨麿さんは

御嶽教(おんたけきょう)に入信、弟子入りしたとも言われています。

御嶽教とは
祭神は国常立尊、大己貴命、少彦名命の三柱の大神を祀り。総称して『御嶽大神』と言います。

修験道を起源にしてると言っていますが
祭神から察すると神道が強い気がします。

竹内巨麿は御嶽教で修行した後に

鞍馬山、鞍馬山の奥にある大悲山で修行とあります。

鞍馬山、鞍馬寺の歴史は古く
770年鑑禎上人(がんちょうしょうにん)が
毘沙門天を祀った事から初まり。796年に
藤原伊勢人(ふじわらのいせんど)が
千手観音を祀った。

また、紫式部や源頼朝、武田信玄
豊臣秀吉 徳川家康なども訪れたり拝殿などを
再建されました。

後に天台宗の影響が強まり、天台法華・天台密教・天台浄土が取り入れられました。

鞍馬山は古神道や陰陽道(おんみょうどう)、修験道等の山岳宗教の要素も含まれている場所です。

宗派に捉われない懐の深さは鞍馬寺の宗教伝統となっています。

昭和22年初代管長 信樂香雲(しらがきこううん)は
このような多様な信仰の歴史を統一して鞍馬弘教と名付け。

昭和24年、鞍馬寺は鞍馬弘教の総本山となりました。

鞍馬山、鞍馬寺にはこの様な歴史があります。

僕が昔、御嶽教の1つの
御嶽教鞍馬山教会の方にお話を伺った時に
元々は、御嶽教だったけど時代の流れから
修行する人、修験道をする方が少なくなり
鞍馬寺と一緒になったと直接聞きました。なので『御嶽教鞍馬山教会』と言う名前になったと教えてくれました。

キリスト教などの『教会』とは関係ないそうです。

この様な事からすると
竹内巨麿さんは、昔から修験道の修行場に
なっていた御嶽山、御嶽教と鞍馬寺の交流的な事を知っていたんじゃないかと想います。

個人的には
鞍馬弘教が設立される前から、繋がりがあったと想います。

御嶽教、鞍馬寺、鞍馬山、大悲山で修行したとありますが。

それ以外にも古代の

歴史などを学んでいたと想います。

神代文字を教えてもらったとあるので

当然、それにともなう歴史も教えてもらったと想います。

話は鞍馬山、鞍馬弘教の話になります。

現在の鞍馬寺、鞍馬弘教では

毘沙門天・千手観世音・護法魔王尊の三尊が

一つになった尊天を祀っています。

この、護法魔王尊は別名

サナート、クマラとも言われていて

1850万年前に金星から来た地球の物質的世界の神の代理人として来て、人類、生命体の

進化の統括者であると言われています。

簡単に言うと金星から来た人で

地球の人類、生命を進化させるために来た。

金星人であり、地球の王様みたいな感じですね。

この様な感じになったのは

鞍馬弘教(くらまこうきょう)を作った

信樂香雲(しらがきこううん)が

神智学と言う大昔からある学問に触れ

神智学協会に

影響を受けたからと言われています。


今回は以上です。

さて、竹内巨麿さんからの

御嶽教、鞍馬弘教、神智学協会

何となく流れがお分かり頂けたでしょうか?

さて次回は

『オカルトの意味』

でお会いしましょう。

以上。

臥龍桜でした。

ありがとうございます。

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