周りが見えない人の顛末

おはようございます!
息子が「パパ書いたよー!」とお絵描きしてくれるようになりました!

今日は、「周りが見えない人になってしまった顛末」を書きます。

組織の中でなんか生きづらさを抱えている人にヒットするかもしれません。


中学校の担任として働きながら、教育課程委員(企業で言うところの経営企画的なポジション?)を務めるようになりました。

仕事をする中では、「◯年後は、教務主任をお願いしたい」と早々と管理職からオファーを受けることになります。

この辺からすでに自分がおかしかったと思います。この学校のことを俯瞰して見える存在だと自意識をもってしまったのです。

また、色々な研修を通して学校の姿を見える化しようと試みました。
「〇〇分析」とか名前のつくものをたくさん持ってきては、職員の皆さんと一緒にやるようになります。

研修後のアンケートを取って、「皆さんの声を集めました!」みたいな取り組みもしました。

『学び合い』を経験してきたこともあり、職員同士が話す場を作ることが役目なのだと思いこみます。
リフレクションを通して先生方に学びがあると感じると達成感を持っていました。


しかし、そんな一方で生徒たち、先生たちとは自分から溝を作ってしまったのではないかと感じるようになりました。

「ファシリテーター」対「他」のような構図を作ってきた顛末は、「近寄りがたい人」「なんか忙しそうにしてる人」像を作り上げてしまったのだと思います。

生徒たちからも「忙しそうにしている先生」となっています。だから、本当に大切な話をしなくなってしまいました。

部活でも大事な場面で、生徒の気持ちに反したサインを出すようになっていました。


そんなこんなで「生徒たちのことがわかってあげられない…」「先生に向いてない…」と自分にネガティブの札を貼り、適応障害に突っ走って来てしまったのだと思っています。


この中で伝えたいことは次のとおりです。

忙しさを見せないこと、
壁を自分から作らずに飛び込んで行くこと、
ご機嫌でいられる環境に身を置くこと、

みなさんにとってなにかの気付きになればと思います。

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