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不道徳な地上の楽園

辟易(へきえき):中国の歴史書『史記』に出てくる言葉。「道を避けて場所を変える」が転じて「相手を恐れ逃げる」という意味に。さらに「たじろぐ」⇒「閉口する、うんざりする、嫌気がさす」となりました。

ドイツの G.イェリネクによれば、「法は最小限の道徳」。つまり、「道徳 > 法」であり、法に触れなければ何をしても許される訳ではない、ということです。
具体的に言いますと、「約束を破る」「他人のモノを盗る」は、社会道徳の違背(いはい)として社会的に是認されませんし、後者は法的にも違反しています。でも、上級国民の面々は幼児的万能感でもってやりたい放題うんざりするエピソードをご紹介。

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問題1.下の文章において使っても不適切とならない言葉はどれか、次の選択肢の中から1つ選べ。

選択肢: a) 取材の自由を奪う   
     b) 悪質な妨害愉快犯
     c) 正当な取材行為


大規模接種センターの予約に関し、架空の接種券番号で予約ができるか検証したという毎日新聞。 AERA dot.で5月17日に配信した『「誰でも何度でも予約可能」ワクチン大規模接種東京センターの予約システムに重大欠陥』の記事について19日に防衛省が申し入れ。「ワクチン接種を受けたい人の接種機会を奪う。ワクチンが無駄になる可能性もあり、悪質な行為」と。

➡︎ 野党 :「取り消せば、接種機会を奪うことにならない。正当な取材行為であり、防衛省の申し入れは取材の自由を奪う」と。
➡︎ 野党 :「(毎日、朝日には)抗議よりも、『穴を見つけていただいてありがとうございます』ではないのか」と指摘。安倍前首相がツイッターに「極めて悪質な妨害愉快犯」などと投稿したことに対しても「(架空予約は)不備を証明した。愉快犯という言葉を一国の首相をした人が使うべきではない」と批判。
➡︎ 野党 :「7万件のうちの2件でしょう」と。


みなさんの答えは ?
ヒントは道徳心のないマスコミと国会議員です。

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解説:たとえば

取材のために、ある店に行って、監視カメラの盲点をついて万引きしてみた ⇒ うまくいった ⇒ 報道した ⇒ (頼んでもいないのに)取材して頂いた店は損害を被る

店のセキュリティの脆弱性(ぜいじゃくせい)を世間に広める ⇒ 商品を元の棚に戻せば、万引きにはならない ⇒  法律は犯していないが、倫理的・道徳的に正しい行為?

取材で万引きまがいの行為をしたとしても、店で起こる万引きの数からすれば、たいした数ではない ⇒ 幼児的万能感 ⇒ 自分や仲間に対して愉快犯って言葉使うな!!

オイラの3歳と5歳の孫の幼児的万能感、ハンパないですよ(笑)。

そういえば、先日、旭川のNHK職員がリサイクルショップで水筒など770円相当のものを万引きして逮捕されました。これも、見つかった時点で元の棚に返せば、逮捕されなくて済んだのに、運が悪かった、いうことなのでしょうか? 

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 立法府:立法を職務とする機関=国会。国会議員は議員立法が出来る、すなわち法律を作る側にいる人のこと。 

在留期限が切れたというだけでなんの犯罪も犯していないのに・・・収容施設に・・・って発言した野党党首は国会議員で、議員立法できる人です。
在留資格を失効している場合は不法滞在者という扱いになります、とのネットの反応に対して ➡︎ 不法滞在者だったらなんだというのでしょうか、って同じ党に属する地方議員(笑)。

オイラの3歳と5歳の孫の幼児的万能感、ハンパないですよ(笑)。


問題2:次のうち正しいのはどれ?

a) 法で定めた在留期限が切れて滞在しても不法とは言えない
b) 在留資格を失効している場合は不法滞在者という扱いになる
c) 不法滞在者だったらなんだというのでしょうか

みなさんの解答は?

ヒントは遵法精神のない国会議員と地方議員です。

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ムール・ガイさんの「中身のない言葉」という記事。

・・・弱者を助けろと言う割には救済手段を示すことなく、「守れ」の一点張りです。これでは何のために叫んでいるのかわかりません。本当に守ろうとする人は現時点である救済手段を示します。・・・・何かを焚きつけるような人たちのせいで本当に助けを求めている人が声を上げにくくなっているのも現状です。本来はそういった人に手を差し伸べるのが、本当の役目ですが・・・・手は伸びていません。・・・・・彼らの矢印は自分たちに向いているだけで相手には向いていません。・・・・そういう人たちが言っていることを本当に信じて支持している人がいるのも事実ですが、・・・・・

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ムール・ガイさんの記事には重要な2つの概念が提示されています。

1.この記事の中の「弱者を助けろと言う割には救済手段を示すことなく」:コンスタティブな論理=そのままでは解決にならない!!

2.この記事にある「そういった人に手を差し伸べるのが、本当の役目」:パフォーマティブな論理=解決に結びつける!!

「小論文を学ぶ」の138ページ~ (11)コンスタティブな論理ではなくパフォーマティブな論理を
・・・たとえば、「男といい女といい、それはジェンダー(文化的差異)が決めた人為的な差異にすぎない」、「だから、ジェンダーなんて信じるのは愚かだ」、と言う人がいる。だが、こういうもの言いをコンスタティブ(事実確認的)な論理というのである。
そういう人も女性の下着に一瞬ドキッとする感覚を否定することはできないだろう。われわれは上の方からものを言うことはたやすいが、現場の感覚では、やはり相対化された現実感覚ーーこうした次元がパフォーマティブ(行為遂行的)な論理を形成するーーーから抜け出ることはできない。一万円札を前にして、「こんなものは原価数十円の紙切れさ」と言うのはたやすいが、ならばそれを破り捨てることができるかというと、「ばか言うな」となる。

通常、差異を素朴に信じることと、差異を概念的に無視しようとすることとは、ほとんど同義なのである。人は、原理を知ると、原理から現実を描写しようとしだす。・・・・途端にすべてがそうして概念によって解決されるように思う。だが、民族紛争などを見ればわかるように、そんなコンスタティブな論理ではことがらは解決しない。人間はどこまでいってもフェティッシュで現場的な感覚を無化することはできないからだ。・・・・

男と女の悪しき慣習はなくせばいい、障碍者をめぐる悪しき差別感はなくせばいい、民族同志のいがみ合いはなくせばいい・・・、そんなことは分かりきっている。それは人権概念を振り回して、「人は生まれながらにして平等であり・・・」とのたまうことに等しい。

・・・・コンスタティブな論理が普遍性の論理だとすれば、それに対抗するパフォーマティブな論理は特殊性の論理である。・・・・コンスタティブ(事実確認的)な知は、そのままでは解決にならない。パフォーマティブ(行為遂行的)にどう解決するか、差異とは何か、それを原理的に知っていても、即実行性のある解決にはつながらないということである。・・・・
そして、こうした解釈のズレを一つひとつ確認してゆく作業が、システム論的でありながら普遍化志向に走らずあくまでパフォーマティブな次元でことがらを解釈する方法を具体的に保障してゆくことになる。

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幼児的万能感をもってコンスタティブな物言いしかできない人は、「自分たちは世界を悪から救って地上の楽園を打ち建てる神である」と本気で思っているのでしょうか(笑)? 「目的は手段を正当化する」とばかりに、道徳的に許されない行為をしても、恥じることがありません。自分たちは法の上にあるのだから、何を言ってもしてもいいのだ。いや、むしろ、ウソも、騙しも、不道徳、不法なやり方だって、目的達成のためには必要悪だって具合にね(笑)。

こうして、新聞・TVを唯一の情報源とし、疑うことを知らない高齢者たちは、幼児的万能感をお持ちの「神(?)」の奴隷にされてしまうのですねぇ。


アリストテレスは政治の目的は最高善だ、と言いました。話し合いでパフォーマティブに問題を解決して、最高善を実現しようって。でも、上級国民たちの演じるパフォーマティブならぬパフォーマンスを見ていると、アリストテレスの言葉はいずこへって感じ(笑)。

もう、「中身のない言葉」に辟易(へきえき)ですし、幼児的万能感の紡ぎ出す不道徳な地上の楽園じゃねぇ(笑)。

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