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ローレンス・シルバーマン(1) ー 論理的推論 ー

これから何回かに分けて、ローレンス・シルバーマン連邦高等裁判事(85歳)の主張の前フリの記事を投稿しちゃうことにします。なぜって、それはオイラの思考回路を理解してもらうため(笑)。

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英語の induction は「duc-」「 duct-」(ラテン語の「ducere = to lead(導く)に、接頭辞の「 in(中に、上に)」 が付いて帰納。つまり、帰納とはデータが一つの法則の「中に」納まるというもの。そして、帰納法は個々の観察から一般法則や原理を推論すること。

ジェンナーが「乳搾りの女性は牛痘(弱い天然痘)にはかかるけれど、天然痘にかからない」ことからワクチンが天然痘予防に効果があると推論したことは帰納法の代表。

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作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」の要約。

今回は、東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長の「女性蔑視発言」について。・・・政治家や公職に就く人の発言は重たく、失言は時に命取りになる。・・・振り返ってみれば、女性を公然と侮辱し、差別発言が問題になり、地位を奪われてきた公人はどれほどいるだろうか。・・・性差別発言は許されてきた。かばわれてきた。・・・差別発言が繰り返されてきた。
公人の差別発言に女性たちはその都度自尊心を傷つけられ・・・今回の森喜朗氏の発言は、今回限りの「失言」ではない。何十年にも何百年にもわたる性差別の積み重ねの象徴・・・だからこそ、ここで根を絶った方がいい。・・・また多くのメディアがこの問題を間髪をいれずに深刻にとりあげた。海外でも多数報道され重大問題だと伝えられたことも大きいだろう。ジェンダー平等の意識が高まっていることが、・・・今回は終息させたくない。もううんざりだからだ。
・・・・ジェンダー平等に対する取り組みへの苛立ちが、森さんには・・・女性が少数であれば、女性枠の中で女性が競わされ「わきまえなければ生きていけない」と考える女性が、・・・怯えずに自由に生きられる安全をつくるのは、・・・男性も一緒に取り組むべき社会の問題だ。・・・これ以上性差別を許す文化を広げないために、森さんの辞任を強く求めたい。

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この北原みのり発言を受けて、週刊朝日の記事を取り上げたのが「会議」でしたが、オイラの意思がうまく表現できていなかったので、改めてご紹介(笑)。

最近、男性が圧倒的多数のプロジェクトチームで、仕事をする機会があった。・・・・体験をあえて普遍化し、ここで疑問を投げかけてみたい。   なぜ男性は、家に帰りたがらないのか? なぜすぐに「長い会議」をしたがるのか? ・・・私の想像している以上に、男性たちは群れたがるものなのかもしれない。・・・飲み会を終え終電間近の電車に乗れば、車内の8割は疲れた顔のサラリーマン男性たちで占められている。いったい、この人たちは、妻や子どもと「コミュニケーション」しているのだろうか。・・・無駄な会議つまらねー飲み会を避けて、集中して働けば少なくとも5時間早く帰れるのではないか? ・・・大変な仕事量を抱えてる女も、家事や育児や介護を一人で背負わざるを得ない女たちは、帰ってるよ。・・・これじゃあ女は輝くタイミングを逸し続けるわね……と酒臭い車内でため息。輝けそうもありません。

「あれぇー、これって森発言の女性を男性に読み替えただけじゃん(笑)」って、気づいちゃいました(笑)。

でも、マス・コミは「男性を公然と侮辱し、男性の自尊心を傷つける差別発言だ」とは報道していません。そして、こんなことを2014年に書いていたのに、「ジェンダー平等を目指し、これ以上性差別を許す文化を広げないために、森さんの辞任を強く求めたい。」って、どの口が言うのでしょう(笑)。

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オイラ思うに、北原さんの2014年の記事の問題点は2つ。1つは自分だけの体験から得た偏見を前提として断定的差別を語っていること。これは読み物としてはおもしろいかもしれませんが、客観的な検証もないただの偏見先入観から得られる結論はただのゴミ。もう1つの問題は、中心化の論理。

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参考までに、論理的思考の王道を行くながた師範の物言いをご紹介。

既にお付き合いしている相手がいる場合、残念ながら同じクラスになる事はありません。これは経験則として皆さんもご存知でしょう。何故なのか?教諭を務める3名の先生に事情聴取してみましたところ、全員同じ回等でした。・・・なお、当記事は3名の先生方から聞いたお話であって、全ての学校が同じだとは限りません。あくまでも参考程度にお考えください。

ながた師範は3名から聴取したデータから断定的に語るのではなく、あくまでも参考程度と言うのみ。だからこそ、ながた師範の記事は信ぴょう性が高いとなるのです。

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『小論文を学ぶ』(長尾達也著 )をお持ちの方は、121ページ~を参照ください。

「高齢者問題」「障害者問題」「男女平等の問題」といった特殊な対象に固有の問題として別枠の扱いをしはじめるのが通例である。だが、これらの問題も、異なる者同志の理解の問題なのである。
・・・近代は、総じていうなら中心化思考の時代であった。・・・何か中心になるべき価値観や基準を設定し、それに基づくものを正常とみなし、それから逸脱するものを異常とか劣ったものとみなして、中心となっている正常なものに同化させるような政策をとってきた。・・・
健常者や男性という中心の文化や思考に同化させようとしてきた。・・・正常ー以上という判断基準がそこに見え隠れしていることだけは事実であろう。そこが問題の核心なのである。・・・
いま問われていることは、少数であること、機能的に劣っていること、効率がよくないこと、等を理由に差別してはならないということである。・・・世界の解釈の仕方は、無限に存在する。
いま求められているのは、少数であることに価値を認めるような世界解釈を樹立することなのである。・・・
高齢者に対する“老いぼれ”意識などはまだまだ根強い。社会からそうした人々に対する管理や保護の意識を取り除き、排除の論理を駆逐することは並大抵のことではないのである。・・・
社会的な差別を受ける立場にある人々をたすけることを、あえて否定しようという人はいないだろう。だが、人をたすけるという美名のもとで、たすける側の論理がやすやすとたすけられる側の心を蝕む(むしばむ)ことがある。・・・
社会的に「気の毒」な人を救済しよう、保護しよう、という発想は、往々にして恩情主義(パターナリズム)に傾きやすい。いかに「思いやり」の精神を強調しようとも、そうした弱き者を見下した精神は、単なる同情、憐憫でしかない。
だが、いま問われているのはそうした精神からの離脱である。たすける側とたすけられる側との間に精神的落差があってはならないのである。・・・こうした「思いやり」精神が、・・・管理と隔離をもたらしたことはいうまでもないだろう。・・・
個人主義が啓蒙思想というかたちで強く押し出されるのと、ほぼ軌を一にして、上記の同情や憐憫なる概念が盛んに唱えられるようになる。・・・実は、自己の感情的満足がその尺度になっているのである。つまり、他者への思いやりをもつことが自己の満足となる限りにおいて、その限りにおいて思いやりを重視しようという、自我中心主義のバリエーションにすぎないのである。・・・
いま求められているのは、そうした近代主義(モダニズム)の自我中心主義の発想からの脱皮なのである。・・・
いじめの本質は中心化の論理であり、・・・差別の発想である。・・・だから、いじめに対して、「思いやり」や「人権」を持ち出して対抗しようというのは、中心化論理に対して同じ中心化論理を振り回すことになり、いよいよ差別を深く刻みこむことになる。・・・いま問われていることは、・・・ノーマライゼーションという発想になってあらわれているのである。

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長尾先生の書いていることを参考に、そろそろ結論にまいりましょう。

男性への差別発言をする北原みのりさんの心の奥に潜んでいるのは、ジェンダー平等でも異なる者同志の理解、ノーマライゼーションでもなく、女性中心主義でしかなかったという話でした(笑)。

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