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おならは、恥の門。

僕はとにかくおならがよくでる。
体質のせいか、日常の不摂生が祟っているのか。

ある時は、フルートを吹く様な哀愁漂う音色を奏でてみたり、
ある時は、中型犬が「おい。」と吠えた様な音もする。
ある時は、地獄の雄叫びの様な轟音。
そのレパートリーは多岐に渡る。

これはとても恥ずかしく情けない話なので、
あまり言いたくはないのだが。。。
女性に「おならを聴きすぎて、異性としても性的にも見れなくなった。」と言われたことがある。

それはご尤もな意見で。
一応、おならをこく前に断りは入れるが、
それは礼儀でも何でもないのだと
知る頃には時すでに遅しである。

ひとり暮らしも長くなると、
誰に気を使うわけでもなく力一杯にこいても怒られない。それはそれは実に爽快で、一種のエクスタシー効果がある。

誰に迷惑をかけるでもないし、
自分のおならの匂いは臭いが、
どこか愛着のあるものだ。

あとは今だに「おならがおもしろい」という概念が、抜けきれていない事にも原因がある。

小学生の頃、聡くんと言う同級生がいた。
聡くんは地味で物静か、そして真面目。
僕とは正反対の少年だった。

普段あまり話したりする仲ではなかったが、
美術の授業で風景を模写をする時、事件は起きた。

聡くんがあり得ない音量のおならを放ったのだ。
何か嫌な予感をしたのか後ろを振り返る聡くん。
そこには僕が立っていた。

小学生からすれば「同級生のおなら」なんて格好の餌でしかない。ましてや、物静かな聡くんのおならともなれば、一際匂うのである。

今確実にこいつの弱みを握ってると言う事実と、
大きなおならを音が脳内で何度もリプレイされ、
笑いを堪えきれなかった。

「みんなには言わないでほしい。特にさきちゃんにだけは絶対に言わないで!!!」と、おならだけでは飽き足らず、好きな人まで暴露までしてしまったのだ。

さきちゃんとはクラスのマドンナ的存在で、同級生の男は全員一度は必ずその子を好きになるだろう神的存在だった。

あの頃の僕らは好きな子だけが世界のすべてだった。その恋心を守る為なら何でもするだろう。

散々笑い転げ、落ち着いた頃に聡くんは、
小さく力強い声でこう言った。

「実は俺はお前の事がずっと嫌いだった。
親からもお前とは遊ぶなと言われてる。
でも、あのおならを聞かれてしまった以上は関わりを持たざるを得ない…」
と悔しそうにしていた。

僕は「あそこの家の子とは遊んじゃだめだよ」のそれだったのだ。当時の僕は田舎では変わり者だったし、手がつけられないほどのお調子者だったので、
今思えば、よそのご家庭からそう言われていても何ら不思議ではない。

だが、そんな事実を初めて聞いた僕は酷く傷ついた。相手の弱みを握っているはずの僕が致命傷を追う羽目に。

聡くんの背後を、負傷兵の様に歩き教室に向かったことを覚えている。

その後、同級生に聡くんのおならを告発したかどうかは、正直覚えていない。

その後も聡くんは僕と関わりたくないと言うスタンスを貫き通し、こちらからも歩み寄ることはなく、今もなお緊張状態が続いているのである。

10歳前後であった聡くんですら、
人前でおならをすると言う事が、
どれだけ品がなく、人間関係をも壊し、
憎き相手に心臓を握られようと口外されるべきではない。まさに「羞恥の塊」だと言うのを知っていたのだ。

それを30歳過ぎてからようやく思いしるとは、
ますます合わせる顔がないったらないのである。

おならに限らず、大人のくせにみっともない恥を
知らず知らずのうちに、かいている事がある。

これを読む人の中にも、思い当たる節が一つや二つあるのではないだろうか。

もし心当たりがあるのならば、
一緒に少しづつでも更生していこうではないか。

おならの件を酷く後悔しているし、
現在では人様といる時は我慢に我慢を重ね、
静寂の園と言う名のお手洗いで、
懺悔をするかの様に過去の愚かな自分への
レクイエムを奏でている。

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