見出し画像

#003 オッサンとはなにか

先日一つ歳を取って36になった。

もはや、年齢的にはまごうことなきオッサンなのだが、
あまり周囲にオッサンになることを期待されていない気もする。
でもオッサンになったほうがいいこともあるように思う。
ああ、ここが分水嶺だな、と思うことが増えてきたので、書こうと思う。

オッサンになるかならないか、ならないとして自分の選択は、
・体力作りして、心身共に余裕を生む
・なるべく早く寝る
を実行することではないか、と考えている。

後述するが若者は年長者に対して仕事、力に関する期待値が高い。
そしてこれに応えられないとオッサンという烙印を押される。

なぜ、オッサンを考えようと思ったのか。
話は十何年前にさかのぼる。上京したての新卒のことだ。

社会人になって最もショックだったのは、
社会人ってあんまりちゃんとしてない、ということだった。
当時若かったのもあり、師匠みたいな人を探して決めて、
その人から学び尽くそう、と思っていたのが裏切られる形となったのだ。

しかし、今思うとこれは一方的な思い込みに過ぎなかった。
若者には時間と体力と両方が備わっている。ないのは金くらいのものだ。
一方、オッサンには時間と体力がない。基本的に成長に制約があるのだ。
そんな方々に私は理想論をつきつけやっつけに行ってしまった。

オッサンに対する期待値が高かったのは
①オッサンの生態系がそもそも理解していなかったこと。
②生き残ったオッサンの生存バイアスが強いこと。
が原因だ。他にも要素があろうが、以上2点に集約されるのではないか。

まずは①について考察を述べる。
近年核家族化が進み、また世帯所得も下がっているため、共働きが増える。こうなると、オッサンの家事の比率が増えていることを想像されたい。
こうなるとオッサンの朝は早い。睡眠不足は体力を奪う。

一方で、幼子がいようもんなら、やつらの体力は無尽蔵だ。
体力に難のあるオッサンが早朝から子ども相手に
フルスロットルで稼働せねばならぬ。
"早朝からフルスロットルなオッサンは家を出るまでに疲労し、
さらに通勤で体力を削られ、 勤め先につく頃には
すでに万全な状態ではない。"
という事例が多くなっているのではないか。

このように生産性が上がらぬ条件が整う中、
働き方改革で昼間に会議は集中する。
定められた帰宅時間までの作業時間などあっという間に枯渇する。
無論、帰宅すればまた家事が待っている。
…これ、無理ゲーでねえの?

体力が落ち、元気が出なくなったらオッサンの烙印を押される。
イクメンはオッサンへの近道を進んでいる気さえしてしまう。
オッサンは不本意ながらオッサンになっているので、
ストレスを抱えている。そこを刺激しに行ってはいけないのである。

さらに、以前から共稼ぎ女性はこの状況に陥っていたのであろう。
頭が下がる。
10数年前と今では時代は違うかもしれないが、
もう少し元気な中年が多かった気がするのだよね。
よくそんなに飲みに連れて行ってくれますね、、と思ってたもの。
今はそんな育て方、コンプラ面でも体力面でも難しかろう。

一方、年齢を重ねても生産性を落とさない者は
・体力が異常にあるか、
・家庭において何か無理を強いているか、
・家庭に労働に寛容な環境が用意できているか、
いずれにしても特殊な環境にあるはずである。

そして、この特殊な条件を目指すことが前提になってしまうのが
②の強者生存バイアスなのではなかろうか。これはつらい。

正しいことを正しくやるには、時間、体力、金銭、
いずれかの余裕が必要なのだ。そしてオッサンには時間、体力がない。
よってオッサンは正しいことができないのである。

そして、そうならないためには体力から始めるという、
非常に凡庸な結論なのだ。
そしてきっと、男性のみならず女性にも当てはまる答えだろう。

一方で、働き方改革も浸透し、長時間労働は軽減されつつある。
非管理職にとってこれはいいことだ。体力と時間が軽減される。
しかし、一般的には給料が下がる方向に働く。
賃上げされないと苦しくなる。

地方創生が叫ばれているが、東京以外での活動拠点を増やすことで、
核家族を減らそうというものであろう。
老人が余るので、若者のサポートに回るだろうという考え方だ。
外国人のコンビニの店員にマウントを取ってないで、
若者のメンタルを支えてあげてほしい。

しかし、このような政治の思惑よりは別の手段の方が手っ取り早く、
DINKSも増えるだろう。
韓国の出生率が1を切ったということから、この流れも止まらないだろうな。そうなると移民の話になる。

このように、オッサンとは何かを考えることは意外と奥が深い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?