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NGO団体立上げについて

日本での団体構想について

現在、既に5名のメンバーとともに日本でのNGO団体立ち上げをスタートさせています。
主旨は想いを形にするための場の提供です。
いわゆる財団に近い動きになるかと思います。

具体的には私が働き、生活をするインドを初めとした
日本も含めて国や地域は限定するつもりはありません。あくまで課題があり、解決しようとする熱意ある信頼できる人、団体と、論理的な解決方法およびそこへのコネクションとが合わさっていたら私が主導する必要もなく、あらゆる団体・個人とともにいい加減人類が解決した方が良いと思えることを解決に向かえればと思っています。

例えば明日食べるものが無い人、基礎教育を受けられずに読み書きもできず夢を諦めざるを得ない人、国の争いごとに巻き込まれて難民となり、突然仕事をしたくてスキルもあるのにできなくなる人など。
枚挙にいとまは無く、程度も追及すれば永遠の課題の様に思えます。
しかし例えば私が仕事としてスマートフォンをインドの田舎に普及させることで今まではアクセスできなかった質の高い教育コンテンツへアクセスすることが物理的にできるようになっています。本を空いているスペースにおいて子供が自由に借りられるようにするだけでリテラシーが高まるきっかけを与えられています。

課題は定義の仕方によってはいくらでも解決していけます。その量と奥行きを増やしていきたく、私個という微力な力では課題が増える速度には勝てず、解決できないと思っているので敢えて団体という形を取ろうと進めています。

クラウドファンディングをきっかけに寄付という活動を主導し、その力を知りました。現場の状況がはっきりと目に見えており、それを解決する手段も、その解決に向けて動く人も、お金を出す人も、意見を加える人も、批判をする人も、コネクションを創る人も、全てが力を合わせれば大きく早く解決していけます。
これがやりたいことです。

同時にいわゆる社会活動をする人の給与が低いことは同様に課題解決を阻んでいると考えています。課題解決のために社会活動をしている人が家族を持ち、子供の大学の費用や留学、自身のリタイア後の生活を考えるとそれなりの収入を求めるのは自然だと思います。その手段として社会課題を解決するための活動から離れざるを得ない人が出るのも自然だと思います。その結果解決に向かう人は減り、結局増える課題と追いかけ合って負けてしまっては、課題は増えてしまいます。この構造自体が課題だと考えています。なので私が始めようと動いている団体は、善い報酬ありきな構造にしていこうと考えています。
アメリカではNPO職員で1,000万円超える人も普通にいると聞いたことがあります。アメリカでできて日本でできない理由をまさか今の時代に国民性などと言うのは単なる努力不足の言い訳だと考えています。
富豪になる必要はなくとも、社会課題を前向いて解決に迎えるような体制は必要だと考えています。


そして最後に日本の高齢化社会に関して常に思っていることがあります。それは、高齢化社会は現象であって課題ではないということです。年齢を重ねて、経験も知識も人脈も資金も熱意もある方はいくらでもいると思っています。そう言った方の持っているもの・ことを共に活かしていきたいと考えています。死ぬまで人生は現役だと思います。死ぬまでが自分なので引退は死ぬことだと思っています。現役である以上何かしたい方はいるはずで、そのきっかけを偉そうですが、創れればと考えています。その背景としては、私はいわゆるただの青年で、何か力を持っている訳ではないので様々な課題を解決するためには多くの方の力が必要だと感じています。


私自身は機会の不平等を許せないので行動していますが、その動機はそれぞれでよいはずですし、何なら誰かとても力を持っている人が課題解決してくれるならずっとバックパッカーでもやっていたい人間です。ただ自分が許せないので行動するだけのシンプルな論理です。

最後に、団体はConscience to Conductという名前を考えています。想いを形にという訳し方を勝手にしています。何か良いことやりたいけどその場が無い人や、場はあるけど資金が無くて動けない人そういった想いを具体的な行動に繋げられるような団体を国名・人種などのいかなる境目も無視して実現していきます。


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