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私の大好きな歌は 私の大切な家族には聞こえない

自分の大好きなことや、将来の夢、拠り所にしていること、それらが家族にとって「よく分からない」ものであるとき、私はどうするだろうか。

Coda あいのうた
家族の中で唯一の健聴者であるルビーと、その家族との物語。


兄ロッシの演技が個人的にいちばん、くるものがあった。
だって、自分たち家族3人のために、いちばん幼い妹が夢を諦めようとしているんだもん。お兄ちゃんの気持ちを思ったら、もうやりきれなかった。「こっちのことは俺らに任せて」と簡単には言ってあげられないこと、兄として妹の背中を押してあげれないばかりか引き止めてしまっていること。自分が守られていること。
「犠牲者になんてなってほしくない。」
その全てが怒りになってしまうのが、もう、観ていて辛くて泣いてしまった。


お母さんと部屋で話すシーン。
お母さんは、ルビーが聾者であることを実は望んでいたこと。
その「気持ち」を知った時、私は、なんだか悲しいというか、切ないというか、よく分からない感情になった。
私たちは、価値観が違ったり意見の違う人よりも、同じ考えの人となるだけ一緒に過ごしたいと思っていると思う。それは、障がいをもっている人も同じだったりするのか…なんて、そんなこと考えたこともなかった。なんていうか、そういう視点で考えたことがなかったことに、恥ずかしくなった。

車の荷台でルビーが歌う歌をお父さんが聞くシーン。
美しい、と思った、圧倒的に美しいと。

当たり前、とは誰にとっての当たり前なのか。


常識にとらわれない人でありたい、
広い視野で物事を捉えられる人でありたい、
そんなことを、常々思っているつもりで
その言葉通り、ただの「つもり」だった。


最後に。
この記事のタイトルを、最初は「私の大好きな歌は私の大切な家族には届かない」にしようとしてました。でも間違った文章だなって思ったんです。
この映画を観られた方はお分かりかと思います。
ルビーの歌は、家族に届いてました。
言い方が正しいかは分からないけど、
きっと健聴者が普通に耳から音を聞くよりも。

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