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Sonny Boy - 変えられないセカイで、世界を再選択する物語

選ばれなかった過去たちへ 静かに捧ぐ賛美歌を 
スタァライト九九組 / 再生賛美曲 

という歌い出しで幕を閉じたのは「少女歌劇レヴュースタァライト」の劇場再生産「ロンド・ロンド・ロンド」でした。その先で

ああ私達は何者でもない 夜明け前のほんのひととき
幸せよ 君はいずこに
スタァライト九九組 / 再生賛美曲

と歌われます。その後の劇場版で未だ何者でもない彼女たちは一度殺され、互いの相克と自らのモラトリアムに決着を付け、再生産することでそれぞれの人生でのトップスタァを目指して新たにキラめき始めました。

そんな劇場版スタァライト(以下劇ス)を15回ほど観終えた2021年初秋、「なんか面白いのかよくわからんアニメを観てる」と教えられたのが「Sonny Boy」でした。

あまり今っぽくない絵と、どことなくアングラな画で出だしから異彩を放つそのアニメは、冒頭、異世界に飛ばされたらしい学校と、そこに閉じ込められた少年少女たちの群像劇で幕を開けます。個別に超能力を付与された彼らは対立や協力を繰り返しながら、元の世界への帰還を目指すことになります。

十五少年漂流記のような古典的ジュブナイルノベルと漂流教室のような学園サバイバルSFをオマージュした構成、アクセントに超能力という順当に異世界サバイバルものの方向に行きそうな導入のはすが…

話の展開が全く予測がつかない…世界に謎が多すぎる…

物理的なルールが理不尽に異なる世界を次々と移動しながら、抽象度の高いシナリオに寓話的なエピソードを巧妙に折り込み、物語としてギリギリ破綻しない話運び。軽薄なアニメ考察を寄せ付けない唯一無二の世界観に、観る人を巻き込んで行きます。その現実から比較して破綻したルールと理不尽さの源は、ベースに量子力学を引用している為です。

不確定性原理トンネル効果多世界解釈といった直感的な物理法則と反する量子力学の性質を、思春期のモラトリアムの情緒と詩的に結びつけるのは相性がよく効果的です。ノエインマブラヴオルタネイティヴ他、多くのメディア作品でも試みられてきました。

物語の中盤、彼らは元の世界から分岐し静止した可能性の存在であり、元の世界には戻れない、という現実を突きつけられます。その後は主人公・長良の成長と主人公格4人の選択と行動を軸に進み、長良が立案した”ロビンソン計画”の実行によって、可能性の世界から元の世界を再選択する(と解釈してみます)という結末を迎えます。クライマックスに向けて抽象度が加速するその過程と結末は、説明もなく難解で、具体的な感想を持てない人も多いでしょう。

意味不明すぎてネタバレにもならない最終回のワンシーン(8時間ループ映像)

監督の夏目さんはインタビューで

なんとなく、わからないものはわからなくてもいいのかなとも思っているんです。それは作品の中でもこの世界でもそうであって、重力ひとつとっても、あることはわかっているけど、それがどう作用して、どういうふうになっているのかはわからないけど生きている。自分は、それを調べたり考察したり想像したりするのが好きだったりするんですけど、世の中にある役割的なものとして考えていただければいいのかなと思うんです。

(中略)

生きていくうえでの社会の不条理しかり、物理学の世界でも不条理は存在すると思うので、そういうものといろいろ重ね合わせながら作っていったという感じだったので、「よくわからない」というのは、確かにその通りだと思いつつ、何だかわからない中にも自分なりにいろんな情報や感情を詰め込んで作ったつもりなので、「何だかよくわからないけど琴線に触れる」みたいに感じ取ってもらえたらうれしいなと思いました。
「Sonny Boy」放送終了記念、監督インタビュー - アキバ総研

と語っています。わからないものをわからないままに、瞬間心を撫でられるような不明の感覚を許容する姿勢は、美的価値観を自立させる上で大切なまなざしです。これは岡本太郎の芸術観にも通じている、現代的な芸術への向き合い方です。

この作品ではそうしたよくわからないもの、超能力による能力差も理不尽な世界もほとんどが現実世界のメタファーであり、根底にあるのは少年少女たちのモラトリアムからの卒業、という非常に普遍的なテーマです。それを量子力学という歪なレンズを通して見る角度を変えることでハイコンテクストなアニメに昇華した、鮮やかな思春期脱出系アニメです。

なおBlu-rayは限定生産で、投稿時点ではまだアマゾンプライムビデオで視聴可能です。

レヴュースタァライトとSonny Boyの表裏性について

ここで終わると「冒頭のスタァライトの引用はなんだったんだ」となりますよね(汗

劇スで過去や思い出も燃やし尽くしてほんとうの意味で「何者か」を目指し始めた彼女たち。では何も燃やせず、そのまま何者にもなれない別の彼女たちに救いはないのか。そんな「選ばれなかった過去たち」の幸せはいずこにあるのか。そのアンサーが「Sonny Boy」なんだと思ってます。

一見すると全く違うタイプのアニメですが、子供たちだけで巻き込まれる理不尽な環境、劇中劇のような入れ子構造、閉じられた世界からの脱出などは共通していて、先に書いた「少年少女たちのモラトリアムからの卒業」という普遍的なテーマに沿って互いに線対称な作品と観て取れました。

スタァライトでは少女たちはツダケンボイスで人語を話すキリンに拐かされ、Sonny Boyでは長良たちはツダケンボイスで人語を話す犬に示唆を与えられます。役割としての相似ではないんですが、どちらでも怪しい案内役としてイケボの動物が充てられる、というのは面白い偶然。

そして劇スのクライマックス、愛城華恋は過去や思い出を燃焼させたロケットで袋小路に陥った自分の世界から脱出し、精神的に自立した舞台人として再生産して舞台上で親友と対峙しました。

Sonny Boyでも、長良の計画と皆の能力で組み上げたロケットで異世界を脱出します。世界の果てで立ちはだかった、もうひとりの主人公である朝風に「与えられたもので十分じゃないか。ここも元の世界も変わらない」と諭されます。長良は「それでも」と彼に背を向けて元いた世界という可能性を選択し直し、引き続き元の自分として生きていくことを決断しました。

この相似には、全く別の土地から山を登り始めたら実は同じ山で、意図せず頂上で合流したような驚きがありました。普遍的なテーマに対して表と裏から描ききった証左なのかもしませんが、この表裏性は非常に興味深かったです。

どちらもその独創性は、テン年代から続くセカイ系脱構築の、一つの到達点として評価できると思います。よかったら是非両方見比べてみてください。個人的には2021年にこの二作に同時に出会ったことは、この後の人生の転機に少なからず影響がありました。マジで。

サントラがめちゃくちゃいいです。納得の渡辺信一郎監修


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