プロレス超人列伝第17回「レックス・ルガー」
プロレスの世界は暖かい面もあるが、基本的には冷たく厳しい。
今回はそんなプロレスの世界にもまれていった一人の悲しい英雄の半生を紹介したい。
1958年、ニューヨークで生まれたレックスはハンサムな養子と優れた体格で人気者になっていった。
ただのジョックではなくインテリであったレックスは大学に進み、そこでフットボール学生として才覚を見出していく。
文字通り文武両道のエリートだったのだ。
レックスはやがて、NFLの世界を目指すがそこでは大成をすることはできず第二の人生としてプロレスラーに転向を余儀なくされる。
1985年にプロレスラーとしての特訓をつんだ。なんとこの時、30歳であった。
そして、同年NWAフロリダでデビューをする。
当初は王座ベルトを任されるなどそこそこ実力を評価されていたルガーだったが、ここで彼は意外な人物にぶち当たりプロレスという厳しい世界の洗礼をあびることとなるのであった。
その人物とは「世界最強のレスラー」として名高いブルーザー・ブロディであった。
日本でもファンの多いブロディはプライドが高く、自分が実力を認めた相手以外はとことん認めず手酷い扱いを行う中々面倒くさい性格の持ち主であった。
所詮、フットボール上がりに過ぎなかったルガーなぞブロディからすれば認めるわけにもいかず彼と組んだ試合ではほとんど受け身を拒否したり、やる気をみせないなどを行いルガーに恥をかかせたのだった。
これがその動画である、ブロディの態度にも問題はあるがルガーにもやや技量面で大いに問題があるようにみえる。
この後、NWAに失望したのかルガーはNWAを去った。
その後、初期のWCWに主戦場を映したルガーは複数のベルトをまくなど活躍をみせていくが・・・試合の内容はイマイチ向上することがなかった。
1987年~1992年まで在籍したルガーは、1993年にWCWからWWF(WWE)に主戦場を移す。
そこでとうとう彼の長い低迷したキャリアに絶頂期が訪れるのであった。
当時、ホーガンに代わる主人公を探していたビンス・マクマホンは彼に目を付けた。
ビンスがよしとする白人・マッチョ・イケメンの3条件にピッタリとあてはまるからだった。
愛国ベビーフェイスとして、彼は日米経済摩擦で悪役として描かれていた「ヨコズナ」からWWF王座を奪うべく彼に挑むこととなった。
ヨコズナは体重230㎏ある大巨漢で当時のWWFのメインの大悪役でもあったのだ。
ルガーはこのヨコズナをボディスラムで投げ飛ばすという見せ場を披露、それ以降彼はWWFのほぼ主人公という扱いを受けることとなった。
この時、彼はアメリカを代表する本物の英雄となったのだ。
8月の巨大興行「サマースラム」でヨコズナを破ったが、微妙な判定負けを喫したことで王座獲得にはならなかったが…それでも彼は英雄として認知された。
そして、翌年のロイヤルランブル…これでなんとルガーはカナダの英雄ブレット・ハートとともに同時転落を起こし事実上W優勝を果たす。
かくして、彼の栄光はかがやこうとしていた。
はずだった…。
気まぐれなビンスは同じことしかできないルガーにウンザリをし始めた。
元々30歳デビューという遅いデビュー、彼が新しいレスリングテクニックを会得するのはかなり問題があったのだ。
同年のレッスルマニアでは、最大の敵であったヨコズナに挑むものの王座ベルトを獲得することはできなかった。
これがきっかけとなり、彼をアメリカの英雄として慕っていた層も次第に離れていった。
やがて、WWFからも離れ古巣のWCWに戻っていった。
そしてのちにWWFを脅かすことになるマンデーナイトロの第一回から主役を任せられるなど活躍を期待されていたが…ここでも満足いくキャリアを構築することはできなかったようだ。
その後、存在は薄れていった。
彼の親友であったスティングは主人公として活躍する一方、ルガーは特に目立った活躍をだすことができなかった。
やがて、2001年WCWは消滅した。
これと同時に、彼もWCWを去った。
その後、様々な団体に出るもののかつてのような名声を獲得することはできなかった。
そして、2005年引退を発表した。
その間の2003年にはあのランディ・サベージの元妻であるエリザベスが自宅で亡くなったことから殺害を疑われる事情聴取を受けるなど散々な目にあった。(これは結局疑いが腫れたらしい。)
では、現在彼はどのようになっていろうか。
現在、63歳であるルガー。
そこにはかつての筋骨隆々で堂々とした彼の姿はなかった。
あのグレートムタも思わずこう書いている。
こういったことから、彼は本当に年老いてしまったのだろう。
と、書くと非常に暗い話ばかりになってしまったが…現在、ルガーは家族に囲まれ幸せな生活を送っている。
また、嫌われ者の多いこの業界であるが、ルガーの人格面を評価するレスラーは多くあのハーリー・レイスは彼の高い向上心をかなり評価していたそうだ。
さらにリック・フレアーは彼がビジネスマンとしてかなり優れており、「なぜプロレスラーには保険がないんだ?」という当たり前の質問を薙ぎかけていたことなどを明かしている。
彼の長所はこの謙虚な性格にあるのだろう、現在でもツイッターのフォロワーは関係者が多くおり何かあればどこかの団体でイベントを行うことは可能といえる。
逆にいえば、自己主張が薄かったのだ。
やはり、自己主張の激しいエゴマンでなければ成功を収められない。
プロレスとは厳しい社会そのものなのだ。
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