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プロレス超人列伝第20回「ロディ・パイパー」

今でこそハリウッド俳優の登竜門となっているプロレスであるが、その礎を築き上げそしていまだに伝説に残っているのは彼ぐらいのものだろう。

今回紹介するロディ・パイパーは伝説のSF映画「ゼイリブ」の主人公でも知られている。

大企業家や管理職といったホワイトカラーの人間たちはエイリアンであると言い切った本作は良くも悪くも複数の人間に愛好され、カルト映画として認知されている。

そんな彼であるが、本当の実年齢を含めて本人の素性は謎に包まれている。

1952年(53年という説もある)カナダに生まれたロディは彼の両親との仲はあまり良好ではなかったらしく、不良少年であったそうだ。

中学の頃からボクシングとアマレスに精を出して、その腕っぷしの良さをいかすために、ロディはプロレスの世界へと足を踏み入れた。

複数の説があるが、彼曰く15歳の若さでプロレスの世界に入ったとされている。

その後、やられ役のジョバーとして活動を始めその後、渡米を果たして当時北米でも随一の権力を持っていたNWAに入団することとなる。

この時彼はスコットランド系の出自をいかしてヒールとして活躍をした。

持ち前の甘いルックスもあり、人気者となったロディはチャボ・ゲレロやミル・マスカラスと抗争を行い、1977年には新日本プロレスにきたこともあった。

しかも対戦相手はあのアントニオ猪木で、猪木はこのロディ・パイパーのセンスをかなり気に入っていたそうである。

その後も複数の団体を渡り歩き、プロレスラーだけではなく解説者としてもそのマイクパフォーマンスをみせることもあったそうだ。

全日本プロレスで主力の外国人としても活躍していた。

そして、1984年当時全米侵略前夜の状態であったWWFにうつることとなった。


ここでパイパーズ・ピットというインタビューコーナーまでもらえることとなった。

そして、当時ベビーフェイスとして名が高かったジミー・スヌーカの頭をココナッツで叩き割るという子供ドン引きの映像を見せて一躍全米最大のトップヒールとして君臨することなった。

フィジー出身のスヌーカを散々バカにして、最後は暴行を行うというまさかの凶行。

この放送事故のような場面は多くのファンにも名場面として高く知られている。

全米マット最悪の悪役となった彼はハルク・ホーガンのライバルとして活躍していた。


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子供の頃に彼をみていたあのロック様ことドウェイン・ジョンソンは子供心に「ハルク・ホーガンよりもそれに唾を吐くロディ・パイパーになりたかった」と言われるほどのあこがれをみせていた。

あまりにも人気が出過ぎてしまったロディは1987年以降は善玉に転向をしていくこととなった。

アンドレがハルクを裏切る場面ではインタビュアーとしてその場におり、かつてのライバルであったホーガンが涙を流しながら悲しむのを慰めるという皮肉な構図になっていた。

やがて、1988年にジョン・カーペンターの名作「ゼイリブ」に主演。

そこでは持ち前の毒舌は封印して普通の二枚目としての側面をみせ、また彼の幅の広さをみせつけることとなった。

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その後、時は1990年代になり…ロディは所属団体をWCWに変化させる。

ここではもうすでにプロレスラーとしてはほぼセミリタイア状態であったが高い人気を踏まえWCWのUS王座ベルトを巻いたこともあった。

さらに時代はうつり00年代。

WWEとなったWWFに戻ってきたパイパーは以前と同じ毒舌を披露して、悪役マネージャーとして若手の売り出しに貢献していく。

あのストーンコールドとも舌戦を展開、悪童としての地位を再び見せることに成功する。

2006年にはリック・フレアーと世界タッグ王座をとったこともあった。

そんな彼も2011年に引退を表明、世界中で活躍したプロレスラーとしては最期はあまりにも粛々としていた。

そして、4年後の2015年。


ロディ・パイパーは61歳という若さでこの世を去った。


世界中で暴れ狂った暴走車はとうとう止まったのだ。


プロレスラーは短命であるといわれているが、パイパーもその一人であった。

実は死ぬ間際の彼はWWEに対する訴訟にも関わっていたこともあり、ビンス・マクマホンとの関係は完全に冷え切っていたそうだ。

和解することもなかったといわれている。

狂乱のスコッチといわれた彼だが、その幕切れは少し悲しいものがある。

総合格闘家で自身もWWEに出たことがあるロンダ・ラウジーは彼の大ファンで、ロウディというニックネームをつけている。

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モチロンこれはロディ・パイパーにちなんだものであり、私生活でロディとロンダは友人同士であったこともあったそうだ。

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恐らくロディからすれば、ロンダは娘のようなものだったのだろう。

UFC190で勝ったロンダは以下のようなコメントをみせていた。

「パイパーは父と一緒に天国でこの試合を楽しんでくれたと思う」


しかし、そんなロンダもWWEから姿を消してしまった…。

最強系主人公を大衆はよしとはせず、彼女に心内ブーイングをあびせ半ば追い出されるような形で姿を消すこととなった。

なんとも悲しい結末である。

思えばゼイリブでの彼の役回りも最後は殺されてしまうというものであった。

どこか漂う悲壮感、そんな臭いがこのロディ・パイパーが多くのファンを産んだものであったのかもしれない。

世界中で暴れ狂った暴走車のロディ・パイパー、プロレスファンはそんな彼がいたこと世界中のファンを興奮させていたことをどうか忘れないでいただきたい。





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