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幸せになれよ、だなんて

「今度、結婚することになって」



という言葉を、初めて言われた。



8年くらい付き合いのあるゲイ友から、久々に送ったLINEだった。



予期していない方向から投げられたそのボールを、僕はキャッチ出来たのか、見送ったのか、打ち返したのか、何日か経ったがよく分からない。


ゲイの活動はやめるのか?

セックスはしているのか?

カミングアウトはしているのか?

それって幸せなのか?


彼からすれば、とうに考えたか、誰かに聞かれたであろう質問しか思い浮かばなかった。



世の中色々な人はいるけれど、今日日、幸せにならない結婚をさせられるような人はそれほど数は多くない。



だから、それが幸せかどうか聞くなんて、僕らがゲイであったとしても、愚問な気がした。
彼は幸せだと思って結婚するのだ。



僕からは、幸せになれよ、と返信した。
が、数日経って、いかにも他人行儀な返信だったなと振り返る。



彼とは友達である。
僕は彼に求められたこともある。3回くらいヤった。
彼の家に泊まったこともあるし、2人で旅行に行ったこともある。



共有した楽しい時間の中で、僕は彼の幸せの極一部にはなっていた気がする。



けれど今、彼が選んだ幸せの像の中からは、僕は弾かれたのだということが、無意識にあの返信に表れたのだ。



僕と彼の幸せは、二度と交わり合わないのかもしれない。



だから僕はあの返信で、僕の幸せと彼の幸せを線引きした。
これから僕は、引いた線の向こう側から彼の思う幸せをただ傍観するのだ。
僕は僕の中の幸せを生きる(彼とは違うそれを)。



結婚しても友達でいてくれ、と彼は言う。
それが、ノンケ友達としてなのか、ゲイ友達としてなのかは分からない。



こういうことって、聞いた方がいいのだろうか。
友達だよね?というような関係性を確認する質問ほど、野暮なものは無い気もする。



そう言えば昔、高校時代から付き合いのある後輩に、ゲイだとしても付き合いは続けるけれど、自分の妻と子どもには会わせたくない、と言われたことがあった。



もしかするとそれが、僕の線引きの原点なのかもしれない。



ショックとか哀しくなったとか、そういうことは思わなかった。
ただただ、あぁやっぱりノンケとは世界が違うんだなと思ったのだった。



幸せになれよ、だなんていかにも無責任だ。



でも僕は、結婚する彼のそばで僕がどんな役割で、どんな風にいられるのか、どうしても想像が出来ないのだ。



だから、彼に対して思う。
僕もいつか彼とは違う別の形で、幸せになるよ、と。

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